藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

世界卓球・蘇州大会




 世界卓球・蘇州大会が開催されている。中学生の「みうみま」
こと、平野美宇と伊藤美誠の戦いがすばらしい。技術や戦術もさ
ることながら、落ち着きぶりや表情が可愛くも恐ろしい。

 中国の旅で蘇州を訪れ、「蘇州夜曲」を中国語でも歌ってみた
いと思い、まずは発音に大事なピンイン(中国語の発音のローマ
字表記)を、漢和辞典などを頼りにふる。あとは中国語の独特な
発音に気をつけ、練習するのみ。

 中国の旅から帰っても、中国に縁のあることが続いた。
いつも歩いている立川までの途中にある中華料理店が、「揚州商
人」という店名で、実は店主の祖父は揚州出身の人であった。
 揚州チャーハンはもちろんのこと中華料理が本場の味で美味し
く、すっかりファンになってしまった。

 また、4月に、三条高校の大先輩方10数名で行っている「放談
会」に出席し、中国の馬賊王・小日向白朗を知る。白朗は日中戦
争の裏舞台で活躍し、また戦後も米中関係などにおいて、米大統
領や日本の総理大臣にも影響を及ぼしたスケールの大きな人物で、
三条市四日町の出身であった。
 彼の経歴を中心として、満州のこと、日中戦争、戦後の国際政
治などに興味を持ち、それに関する書籍を紐解き始めている。 

 1本の扇子に書かれていた中国の詩が、私をいろいろな世界に
導いてくれている。

  天の涯 地の隅に 
  親友といえる人は どれだけいるだろうか
  人生では 楽しく出会える人も得がたいものだが
  別れは 数え切れない
                   「送別」


 



 

 
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はっぽんライブ  旅の挿入歌




 中国の旅の思い出を話しながらのライブ。

 漢詩「春暁」を中国語で朗読し、カバー曲として「蘇州夜曲」を披露。バ
イオリンが二胡のようにしなやかな音色を奏で、いつものライブと違う雰囲
気になる。

 上海のライブハウス「温故知新」でサックス奏者をバックに歌った「テネ
シーワルツ」を、はっぽんでは始めて歌う。1番を英語で、2番はバイオリン、
フルートで。サビの繰り返し部分を日本語で。

           故きを温ね 新しきを知る
           上海 温故知新
           今宵は 呑んで歌おう
           虹橋 温故知新
 
 一部最後は、蘇州世界卓球大会を意識し、久々に「市民卓球大会」スマッ
シュ!

 二部では、杭州での若き父を想い「カタクリの花」。後半では、上海でも
歌ってきた中国語の歌「送別」。この歌詞が書かれている扇子を広げ、上海
の風をお客様に送る。

 最後の歌は、揚州の鑑真の想いを胸に「堕ちても枯れても」。アンコールで、
蘇州の寒山寺を思い出し「ブータン」を歌う。

 1曲1曲が、旅物語の挿入歌のような流れができたライブで、20曲ほど歌った。


 
 
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中国の旅 杭州から上海へ





 杭州で二泊し、上海に戻る日となった。また電車の切符を買えな
い事態を心配し、早めにホテルを出、東杭州駅まで地下鉄に乗り、
窓口へ。セキュリティ−を通過し地下鉄に乗ることも、パスポー
トを提示し列車の切符を買うことにも慣れ、「軟座」(1等)、あ
るいは「硬座」(2等)のどちらでもよいことを筆談で伝え、運よ
く1時間後に上海・虹橋駅までの座席を確保できた。
 「あるいは」を中国語では、「或者」と書く。指差し中国語の
本が大いに役立つ。

 電車も快適で、1時間ほどで上海に着く。まだ昼前だったので、
地下鉄に乗り上海博物館へ行くことにした。
 人民広場駅に降り少し歩くと、歌声が聞こえた。カラオケで熱唱
している。その近くまで来ると、下半身のない男がマイクを握って
いた。投げ銭用のかごが置いてある。杭州でも顔のつぶれた女性や、
貧しそうな少年がマイクを手にカラオケで歌っていた。生きてゆく
ために必死で歌っている。少し胸が痛くなった。

上海も雨が続いたらしく、穏やかな春の日差しの人民広場は、満開
の桜を見ながら憩う人達で賑わっていた。今年の花見はこれで終わ
りかなと少しのんびりし、上海博物館に向かった。
 北京の故宮博物院、南京博物館と共に、中国三大博物館のひとつ
である。少数民族の衣装、仏像、書などが展示されている。書のコ
ーナーの入り口に書聖「王義之」の書があった。日本に帰ったら、
六十の手習いだが、書をちゃんとやりたいなと思う。

 ライブを行った「温故知新」で、M氏やライブに来てくださった
方々と最後の夕食。その日もライブが入っており、中国語でロック
を歌うバンドなど3組が出演。私は今回の旅を色々思い出し、演奏
を聴きながら、ビール、紹興酒、白酒(パイチュウ)を呑む。
「また来て歌って下さい」と店の人からも言われ、「また来たいで
す」と返答。再見〜!
           
   旅が人生を変えること 
   人生は魂の旅であること
   明日は海原の碧さを湛え 
   私たちを待っているということ

   行ってみなくてはわからない
   会ってみなければわからない
   歌ってみなければわからない  

                        中国の旅 完 
 
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中国の旅 臥薪嘗胆


 「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という四字熟語がある。

 薪に臥し胆を嘗めるように、辛さ、苦しさを乗り越えて、望み
を達成することをいう。
 この言葉が生まれたのが紹興の会稽山(かいけいざん)であっ
た。

 今から二千五百年ほど前の春秋時代の話である。蘇州を拠点
とする呉の国と、紹興を拠点とする越の国が争っていた。
 越の国は呉の国に一度は勝つのだが、死した呉王勾践の息子夫
差の反撃にあい、越王勾践は敗退し、会稽山のふもとに追い詰め
られ絶体絶命の状況に陥った。
 「もはやこれまで」と覚悟はするものの、助命嘆願をし、雪辱
を期し艱難辛苦の日々を過ごすのである。

 中国の旅の途上、杭州の河坊街で知り合った紹興出身の学生か
らおいしい紹興酒と教えてもらったのが「会稽山」というものだ
った。彼と別れた夕方、早速酒屋を見つけ、例により筆談で「会
稽山」を買い自分のお土産とした。
 酒の名前には物語がある。紹興酒「会稽山」は、そんな歴史物
語りから名付けられたのだろう。

 越の国と呉の国の戦いは、日本の戦国時代、越後の上杉謙信と
甲斐の武田信玄の戦いにも似ているが、「越の国」というのが面
白い。日本の越後、越中、越前は三つ地域に分かれる前は、確か
「越の国」といった。ひょっとして、中国の「越の国」から付け
られた地名ではないだろうかと思うのである。
 
 新潟県人は我慢強いといわれる。まさに「臥薪嘗胆」。雪に耐え、
水に耐え、味噌を舐め、塩を舐め、先祖は生きてきた。
 今回の旅では行くことを断念したが、紹興酒「会稽山」は、なん
だか私を紹興に呼んでいるような気がするのである。
| - | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 杭州、西湖・河坊街





 杭州の二日目に、紹興酒で有名な紹興へ日帰りで行く予定で、
朝早めにホテルを出た。紹興へはバスか電車で行けるが、バスは
不便で新幹線なら30分位と聞いていたので、簡単に行けるだろう
と紹興酒がちらついていたのだが・・・

 ホテルの英語のわかるというスタッフに、杭州から紹興への行
き方を聴いた。私の英語力のせいか、なんだかあいまいな返答。
とりあえず杭州駅までタクシーで。杭州駅で紹興までの乗車券を
買おうとうろうろし、順番待ちの長い列に並び、ようやく窓口ま
でたどり着いた。
 例のごとく筆談で、「紹興まで二枚ください」。「東杭州駅か
ら午後ならありますが」というらしい返答。午後では日帰りが難
しいから、今日行くことはやめることにしたが、東杭州駅はどこ
だろう。地図を見ても載ってない。また筆談で駅の案内係のおじ
さんに尋ねた。彼も筆談で「この駅から地下鉄に乗って、東杭州
駅で降ります。そこから蘇州北駅に行きます」と中国語で書いた。
東杭州駅は地下鉄の駅の名前だった。

 予定を変更して、雨だったがやむを得ず西湖の遊覧船に乗るこ
とに。雨にけむる湖は、小さな船がいくつか見えるくらいで、風
光明媚な景色は何も見えない。座席に隣り合わせた、たぶん親子
と思える女性たちに少し話しかけた。台湾から来ているそうで、
娘さんは日本に行ったことがあり「日本はとても良かった」と話
してくれた。

 船を降り、1時間ほど歩き、南宋時代に一番の繁華街だったと
いう河坊街(カボウガイ)へ。
 杭州は、9〜10世紀には呉越国、12〜13世紀には南宋の都と
して栄えたところで、中国六大古都のひとつであった。元代に
杭州を訪れたマルコ・ポーロはこの町を「地上の楽園」とたた
えている。

 絵葉書屋に入って絵葉書を眺めていると、「日本の方ですか」
と言葉をかけてきた若者がいた。紹興出身で杭州の大学で日本語
を勉強しているのだという。「紹興へ今日行く予定だったんだけ
ど、キップが買えなくて」と話すと、「今の季節は、正月明けの
日本で言うお盆の時期で、とても人の移動が多い時期なんです。
紹興では、紹興北駅で降り、そこから町の中心までバスで1時間
ほどかかります。魯迅記念会館へ行くと日本語のパンフレットが
あります」などと流暢な日本語で話すのだった。

 明日の午後には上海に戻らないといけないから、今回は紹興に
行けないなと決断し、彼に「おいしい紹興酒はなんと言う名前の
ものですか」と尋ねた。彼はノートにその名前を書いた。

 「会稽山」「古越龍山」
 
| - | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 杭州・西湖之夜





 杭州の夜は、たまたまバスの中で読んだ「地球の歩き方」で知
った雑技エンターテイメント「西湖之夜(セイコシヤ)」を観た。

 「上有天堂、下有蘇杭」(天上に極楽が有り、下界には蘇州と
杭州がある)と、中国では古来言われ、杭州は憧れの地である。
 正月を終え、日本のお盆に当たる農閑期で、ガイドの旗に先導
された地方からの団体客らしい人たちで会場は満席近かった。

 杭州と西湖の歴史を背景に南宋時代の戦いを描いた男たちの踊
りや、きれいな衣装とライトアップされた女性の舞のほか、空中
ブランコ、輪くぐり、バイクショーなどちょうど1時間のステー
ジだった。
 黄金の衣装をまとった「千手観音」のパフォーマンスに「極楽
だな〜」と思うのであった。

 ショーが終わり外へ出ると、雷が鳴り激しい雨が降っていた。
10元(約200円)でビニール傘を買った。イスタンブールでは
500円だったなと思い出し、ホテルへ戻った。
 
 
| - | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 杭州へ長距離バス




 揚州バスターミナルに行き、例によって筆談で杭州への切符を買
い、1時間ほどの待ち時間。かなり広い待合室と、隅にある喫煙所
を何度も清掃員が来て掃除している。きれいなはずだ。

 上海から揚州へ行くバスとは違い、今度は日本の長距離バスのよ
うにリクライニングもでき、快適な椅子で一安心。

 2時間ほどバスに乗ると、サービスエリアでトイレ休憩。トイレも
ちょうど清掃中だった。中国は、しょっちゅう清掃しているかのよう
な印象になる。便器の目の前や手洗いの水道の上に、たいてい、ひと
言書かれている。「半歩前に出れば、一歩文明が進歩する」というよ
うな意味だろう。参った〜!

 日本に帰ってからも、あの言葉を思い出し、半歩前に出るようにし
ている。文明が一歩進歩するように?!

 太湖を過ぎると杭州はもうすぐだ。少し小高い緑の山々が見える。
昨年6月に亡くなった父が、昭和17年に新潟の高田連隊に入隊し、ま
ず行くこととなった戦地が、ここ中国の浙江省杭州近辺だった。手記
によれば、4月10日に上海港に着き、4月11日に浙江省に入ったとあ
る。まさにちょうど今頃の季節であった。
ここから、この緑の大陸を転戦して行くことになる若き父の姿を思っ
ていた。
 
 揚州から3時間半で杭州の郊外に着く。道路が車で混み、バスはの
ろのろ運転。車窓から林立する建設中のマンションが見える。車の多
さと街並みに中国の経済成長を肌で感じる。
 
 バスは杭州の北バスターミナルに到着。タクシーに乗り、20分ほど
走り、西湖湖畔のホテル・新僑飯店に無事到着。
 天候はあいにくの小雨模様で、素晴らしいはずの西湖の景色は見え
なかった。夕方湖畔を散歩すると、二胡の伴奏に合わせたストリート
ミュージシャンのさわやかな歌声が聞こえてきた。

 
| - | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 揚州・痩西湖公園





 揚州の二日目の朝、食事を済ませ、痩西湖(そうせいこ)公園へ。
春のやわらかい日差しの中で、公園入り口の広場で太極拳をやって
いる人たちが見えた。

 痩西湖は、杭州の西湖に形が似ており、形が細いことからついた
名前だ。24もの小さな橋が架かっていて、さまざまな春の花を見な
がら30分くらい歩いたところに五亭橋がある。中国的な雰囲気の建
物だ。

 穏やかな朝の公園に、中国人の一組の老夫婦が仲むつまじげに散
歩していたのが、印象に残る。どの国の人も、こんなひとときに安
らぎを感じるのだろう。

 1時間ほどの水辺の散歩だったが、とても長い時間を過ごしている
よな、感覚だった。

   上善は水の如し。
   水は善く万物を利して争わず、
   衆人の悪(にく)む所に処(お)る、
   故に道に幾(ちか)し。
                老子
 
| - | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 揚州・東関街




 揚州到着の午後、鑑真ゆかりの大明寺、記念堂を見た後、タク
シーを走らせ東関街(トンチュワンガイ)へ。もう夕暮れになっ
ていた。
 東関街は、南宋時代の街並みを再現したものだが古城地区にあ
り、当時はこんな雰囲気だったのだろう。中仙道の妻籠・奈良井
宿を思い出した。

 空海も時代をさかのぼること、都長安への旅路に、揚州に立ち
寄っている。四国遍路八十八箇所をほぼ全部歩いたときに、空海
の中国の旅はどんなものだったのかと想像したが、ここ揚州で私
は空海を思った。もちろん大変な苦労はあったろうが、中国大陸
の自然と人々に触れ、その旅はとても快適だったのではないかと
思えてきたのである。

 1キロくらいの街並みを、半分程歩くと、ステキな音色が聞こ
えてきた。オカリナの音色。中国では陶笛という。陶笛を販売し
ている店での生演奏だった。
 
 南宋の音色。若くきれいな女性が演奏し販売していたものだから、
少し吹き方を教わったあとで、つい結構高価なものを買ってしまっ
た。280元だから5,600円というところか。気に入った絵柄のもの
を選び、今回の旅の唯一の自分の御土産となる。

 そうこうしているうちにすっかり夜。きれいなイルミネーション
を見、街並みにある食堂で名物の「揚州チャーハン」を食べ、ホテ
ルへ戻った。
 
| - | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0)
中国の旅 揚州・鑑真和上

     奈良・唐招提寺の鑑真和上坐像


      揚州・鑑真記念堂の遣唐使船

 鑑真の敬称は「和上(わじょう)」であり「和尚(おしょう)」
ではない。この違いは何か。宗派による違いである。「和上」は律
宗、浄土真宗での呼び方で、禅宗、浄土宗、天台宗などでは「和尚」
となる。

 海棠や鑑真和上の闇しづか

 これは、私の句で、気に入っているものだが、「わじょう」の響き
がここちよい。

  諸人去(ゆ)かずんば、われ即ち去(ゆ)かんのみ (鑑真)

 日本への渡来を試みること6回、ついには失明し、唐から日本に渡る
ことができるまで苦節12年。なんという執念であろう。この言葉の前
に「不惜身命」(身も命も惜しまない)という覚悟の言葉がある。
 日本では律宗のみならず、天台教学も伝え、その恩恵で後世に伝教大
師・最澄が「法華経」に接することができたのだ。

 鑑真和上の日本仏教界への功績は実に大きいものだった。そして、日
本に渡来できたときは、もう65歳になっていた。
 数年前に奈良の唐招提寺を訪ねた時買い求めた、鑑真和上坐像の写真
を部屋に飾ってある。またここで、歌う覚悟を見つめ直さないといけな
いな!

  堕ちてもいい 堕ちてもいい
  飛ばない鳥は落ちもしまい

  枯れてもいい 枯れてもいい
  咲かない花は 枯れもしまい
               (堕ちても枯れても)
 
| - | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0)
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