藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

はっぽんライブ  盲目のヴァイオリン弾き


  6月にトルコで歌ってきた歌「Memleketim」は、この1年間、
私を支えた歌の一つだったといっても良い。祖国愛を歌いあげた
トルコの詩、もともとはユダヤ民謡というそのリズムとメロディ
ーを聞くにつけ、トルコ国民の子供から老人まで誰もが好きな歌
だという理由がうなづけるし、何かにつけこの歌を聞いていた。

 この歌はフランスのシャンソン歌手ミレイユ・マチューが歌っ
た「盲人」という歌がもとになっている。盲人のヴァイオリン弾
きの歌である。

 トルコ語の歌詞のような、祖国愛をテーマとした日本語の壮大
な訳詩をつくりたいと考えていたが、9月20日に三条市の中央公
民館で行われる人間国宝・瞽女「小林ハル」さんのイベントで歌
わせてもらうことになり、瞽女さんのイメージから、盲目のヴァ
イオリン弾きの歌がすぐに出来上がり、はっぽんライブで歌って
みた。

      盲人のヴァイオリン弾き
              補作詩 藤本すすむ
              曲   ユダヤ民謡

   目の見えない男 ヴァイオリン弾き
   村から村へと 廻り
   付きまとう子らにも 笑顔を振るまい
   指先踊る そのヴァイオリン
     ラララ ラララ ・・・

   聴く人たちの心 すぐに解き放ち
   微笑みと泪 誘う
   風の輝きを 神様の恵みを
   奏でる オンボロ ヴァイオリン
    ラララ ラララ ・・・

   ヴァイオリン弾きに 恋した娘
   どこまでも ついて行きたいと
   嵐の旅路さ みじめな旅路さ
   身を引き あと引く 別れのメロディー
    ラララ ラララ ・・・

   男はこの世で 光のない世界
   受け入れ 精一杯生きる
   音色は見えるよ 心も見えるよ
   指先踊る そのヴァイオリン
    ラララ ラララ ・・・

   指先踊る そのヴァイオリン


 
| - | 06:26 | comments(0) | trackbacks(0)
はっぽんライブ  歌を歩く 第60回 村居偶成

 
 8月28日のはっぽんライブ「歌を歩く」が60回を迎えた。はっぽ
んには開店当初から出演させてもらい、30年余になる。
 ギタ−の弾き語りから、バック演奏に、フルート、ピアノ、サッ
クス、ウッドベース、ギター、ヴァイオリンが加わるようになり、
現在の編成になった。
 「各駅停車の唄い人」というタイトルで毎月出演していた時期も
あったが、2004年から現在の「歌を歩く」というタイトルで隔月
ワンマンライブを行っている。

 60回を記念して、一ファンよりお花をいただいた。奇しくも還暦
の誕生日を迎えたばかり。還暦のお祝いでもあろうか、有難いこと
だ。「歌を歩く」も初心に還り、継続しようと思う。開始したころ
四国遍路旅をしていたので、まずは、88回をめざす。

 9月に新潟県三条市の旧下田村にライブに行く。当地出身の漢学者
諸橋轍次博士の書「村居偶成」を補作詩し、最後に博士の短歌を入れ
たものに曲を付け、ライブで披露した。

       村居偶成(そんきょぐうせい)
            〜 村にあって、ふと思いついて作った詩 〜

               漢詩・短歌 諸橋轍次
               日本語注釈 大橋定雄
               補作詩・作曲 藤本すすむ

 昔から私が心惹かれる 故郷の美しい山や川
 毎年決まって帰る故郷 楽しみは自然の中での読み書き
 天高くそびえたつ八木鼻 その峰を映す五十嵐川
 鏡のように澄んだ水面に 小さな魚が跳ねる

 わが家の庭に群がり生える竹は 垣根を越え伸びている
 静かにすだくコオロギの音色 家の回りの草むらから
 こんな何気ない景色を眺めていても 見飽きることはない
 私を育み支えてきたのは かけがえのない故郷

 幾十多飛(いくそたび) 夢に通いし 故さとの
 水はうるはし 山はうるはし
 
| - | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0)
父を偲ぶ  戦争体験談


 数年前のお盆に帰省した時、父から戦争体験を少しでもちゃんと
聴いておきたいと思い、インタビュー形式で録音してたものがあっ
た。改めて聞き直してみた。

 驚くことに、北朝鮮会寧という地名から話が始まる。私が「カタ
クリの花」で、朗読している「北朝鮮会寧歩兵第75連隊通信隊慰霊
碑文」の「会寧」である。この慰霊碑は秩父の観音巡りの途上、カ
タクリ群生地のある27番札所大淵寺の墓地の片隅でたまたま見つけ
たものだ。会寧からフィリピンに派遣され戦死したその村出身の通
信隊員への慰霊文をわかりやすく手直しし、朗読している。

 録音の時にお茶を飲みに来ていた、近所のお爺さんも父のすぐ上
の兄も、召集され、まずは会寧に行ったのだった。北朝鮮の最北、ロ
シアとの国境近くに位置する会寧は、新潟港からまっすぐ行ったとこ
ろにある。
 私が歌い語って来た「カタクリの花」がこんな風につながっていた
とは。

 父の話は、昭和17年の新発田連隊入隊から、中国へ行き、インドシ
ナのベトナム、カンボジアを歩き、ビルマまで行き、終戦10か月後バ
ンコクから復員船で浦賀へ着くまでの話。

 最初の戦場では銃弾運びだったこと、中国の大作戦で膝に銃弾を受け
負傷し、今でも銃弾が膝に残っていること、ビルマへの行軍は「白骨街
道」と言われたインパール作戦の支援であったこと、大隊長の秘書役と
して班長を務めたことなど語ってくれた。
 おそらく、今でも語れない辛いこと、悲惨なことはあったのだろうが、
あえてつっこんで聞くことはしなかった。

 面白いと思ったのは、休息の時には、隊で演芸会のようなものをやっ
ていて、父が率先して歌い、賞をもらうこともあったということだ。
持ち歩いていたという歌集をその後見せてもらったことがあったが、人
前で歌うことが好きだったのだ。

 父がなくなった日の夜、録音したものをCDにした。聞くと今でも生き
ているかのように、ときどき笑い声をまじえ私に語ってくれる。 
 
| - | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0)
卓球ロック  新生ロッカーズ快進撃


 同年輩の卓球仲間から、私が60歳になったら新チームを立ち上げ、
全国レベルの団体戦に出ようと誘いを受けていた。
私が晴れて還暦の60歳となり、今年は新チームで東卓(東京都卓球
連盟)に加盟。最下位からのスタートだが、東卓リーグ上期リーグ戦
6部と、今回から始まった東卓シニアリーグ戦2部で、優勝。

 チーム名は「ロッカーズ」。酒のロックでも、音楽のロックでもな
い。実は「卓球録」という意味合いで、チームメイトT氏の「卓球ノ
ート」→「卓球の音」→「卓球録」→「卓球ロック」→「ロッカーズ」
となったのだ。

 卓球で汗をかけば100点、勝てば120点と気軽にやっていたが、数
年前チームメイトとの忘年会で日本酒を呑みすぎ、意識のないまま、
右肩から床に倒れ、右腕が正常に上がらなかったり、回らなかったり
の状態がつい最近まで続いた。おまけに今年の3月は、ふとしたきっか
けで左腕が正常に動かなかった。

 それでも騙し騙し卓球は続けてきたが、やはりなかなか勝てなかっ
た。ようやく、右腕も左腕もほとんど違和感なくラケットを振れるよ
うになったが、左腕はギターを持つとすぐ重くなる。左の肩甲骨あた
りが痛みだす。辛抱だな。

 チームメートがそれぞれ卓球にとても熱心なので、引っ張ってもら
ってるという感じで、ほんとにありがたい。
 卓球のおかげで、元気でいられたと思うし、卓球をやり続ければ声
も出、歌い続けられると思っている。

 卓球と、チームメート、関係者、全国の卓球ファンのために、また
卓球の歌を作ろう。

 卓球ロック、卓球ワルツ、卓球ブルース、卓球サンバ、卓球カノン、
卓球セレナード、卓球フーガ、卓球ルンバ、卓球マンボ、卓球タンゴ、
卓球時代、卓球酒、卓球の女、卓球人生、卓球小唄、卓球慕情、卓球
の道、卓球少年、卓球老人、卓球の港、卓球メモリー、卓球節、夫婦
卓球、卓球川、卓球人情、卓球子守唄、卓球エレジー、卓球の秘密
卓球の神様、

・・・・なんでもできそうだ。
| - | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0)
父を偲ぶ  北風の碑


 父の納骨の日、実家から数分歩いたところの墓地の片隅に「北
風之碑」という墓石を見つけた。
 まるで宮沢賢治か坂口安吾でも眠っているかのような墓石では
ないか。こんな田舎の墓地に、このしゃれた墓碑はなんだろう。

 雨がポツポツ当たる中、父の納骨は、父には申し訳なかったが
少し急ぎ、悲しみを抱く暇もなく事務的に進められたようだっ
た。

 藤本家の本家の墓もすぐ近くにあり、墓石に笹の葉模様の家紋
がある。いつか「藤本」は本当は「笹本」だったと、源氏の流れ
を汲むのだと父から教わったことがある。
 本家の墓には「万治」の年号があるという。万治元年は1658年。

須田、北潟の歴史

1558年 須田相模守光圀(満親)が須田を開拓し、須田右衛門慰
    光義、須田大炊之助長義の所領となる

1560年 北潟に菅原神社が勧請される

1564年 須田相模守満親の家臣、小林弥五郎は北潟を開拓する

 この須田氏から、地名が「須田」になったのだという。須田氏
は上杉家の家来であったので、1598年上杉景勝の会津移封に伴い、
梁川城主(福島県伊達郡)となる。
 須田氏の子孫が、山梨県富士吉田に住んでいることを、たまたま
先月の高校同窓会で加茂出身の先輩から教えてもらった。この秋、
ぜひお会いしてみたいと思っている。不思議な縁である。

 「北風之碑」・・・そんな墓碑が北潟にある。父の眠るすぐ近く
に。
| - | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0)
父を偲ぶ  越後三十三観音巡り


 父とは旅をしたことがなかった。不肖の息子は上京後
は故郷にあまり寄り付かなかったし、若い頃「な〜に、
もうぐれてるんだ!」と、普段は温厚な父に、二度青筋
を立て怒鳴られたことがある。生き方の事だったので、私
は静かに「俺はそうする」と宣言し、自分勝手な生き方を
通してきたのだった。

 小さい頃の思い出に、父のバイクに乗せてもらって、隣
町の白根に凧合戦を観に行った記憶がある。
 しっかりと父の体につかまって、伸び始めた緑の水田を
見ながら、蒼い風に吹かれ、おんぼろバイクに乗っていた
自分を鮮明に覚えている。

 父の葬儀で帰省した時、床の間にはすでに在りし日の父
の写真が飾られていた。ちょっと寂しげな顔写真だった。
床の間にいつか飾ってあった越後観音巡りの掛け軸を、た
またま実家に少し長く居て、母の世話や遺品の整理をして
いた妹に送ってもらった。

 掛け軸を入れた木箱に平成七年とある。友達と車で越後
三十参観音巡りをしたのだと、いつか聞いたことがあった。
私も、2年ほど前に、ほぼ2年をかけ三十三観音巡りを結願
した。十数年の時間の差はあるが、同じところを旅してい
たのだ。同じ景色を見、同じ寺で手を合わせ。

 私は、西国、坂東、秩父の日本百観音巡り、四国八十八
札所巡りをし、越後三十三観音巡りを終え、昨年から合間
を見て信濃三十三観音巡りをしている。
 寺巡りを始めた時から願い事はしないことにし、般若心
経をとなえ、「詩は言葉の寺」「歌は観音」を確認する旅
である。今までなぜか、旅から帰ると、新しい仕事が入っ
たり良いことが起きるのだった。

 「ちゃんと食っていらろんか〜」「かあちゃん、元気ら
か」と帰省の折に、父は私を心配している様子だった。
 今こうして、健康で歌も歌え生活できていけるのも、父
の願掛けのおかげだろうと、越後観音巡りの掛け軸を見て、
しみじみ思う。

 
 
| - | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0)
父を偲ぶ  村居偶成


 書道をやっていた父から、以前に譲り受けた掛け軸は、たまたま
大漢和辞典の編纂で知られる新潟県三条市下田出身の諸橋轍次博士
の書であった。
 9月に下田へ歌いに行くが、この書の内容を歌にし、歌ってみた
いと思いたち、いろいろ知人に訪ねたり、調べてもらったがなかな
か歌の意味が分からなかった。ようやくその資料が手に入った。

 博士の故郷を歌った書に感銘し、買い求めたという父の想いを想
像しながら、私なりの歌に仕上げたい。

    村居偶成 ・・・ 村にあって、ふと思いついてつくった
                  止軒学人(諸橋博士の号)
 (口語訳) 

   私は昔から山水の景を好む性向があり、この山水の美わしいふる
  里に心惹かれ、もう長いこと毎年帰郷しては自然に親しみ読書を楽
  しんでいる。
   ふる里のシンボル、八木ヶ鼻の絶壁は、天空高くそびえ立ち、そ
  の秀峰を映し出す五十嵐川の清流は、鏡の如く澄んでいる。
  わが家の庭にむらがり生える竹は、垣根を越えてよその敷地まで入
  り込み、静かにすだくこおろぎの音色が家の回りの草むらから聞こ
  えて来る。
   この風景は、いくら眺めていても見あきることはなく、そぞろ私
  のうたごころをはぐくむような思いがする。

            (諸橋轍次記念館推進委員 大橋定雄 識す)

 ※後日、この書は複製品であることが判明した。

 
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