藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

還暦の誕生日 


 今日は60歳の誕生日。還暦となった。生まれたときに還る歳だ。
20歳になったとき、30歳になったとき、40歳になったとき、50歳
になったとき、それぞれの区切りの時に、想うべき何かはあったは
ずだが、はっきり思い出せない。
 「自分をしっかり生きねば」という漠然な想いで酒を呑み、誕生
日を誰かと、あるいは一人で祝っていただろう。
 ただいつも健康で元気だったことは確かで、今日も元気そのもの、
晴々した気分で朝を迎えた。

 昨年秋の新CD制作のレコーディングに始まり、立川パレスホテル
新春コンサート、6月のトルコの旅も、迎える還暦をかなり意識して
のことだった。来し方を振り返りながら、行く末を見つめてきた。

 6月27日に、故郷新潟の父が享年94歳で永眠したことは、さらに
「残された時間」の生き方を考える機会にもなった。

 父の法名は釈銘意。家の宗派は浄土真宗大谷派で、浄土真宗では、
一般には戒名という死んだときの名前を「法名」という。また「釈」
とは、釈尊(ブッダ)の弟子になることで、仏の道を生きる人をい
う。「銘意」は住職が父に付けたもので、「金次郎」という名から、
金偏の「銘」を使ったと説明してくれた。

 「銘」・・・記す。書きつける。きざみこむ。心に刻み込んで忘
      れない。
 「意」・・・こころ。心ばせ。志向。思い。考え。おもわく。
                        (広辞苑より)

 須田の中学時代、私はみんなに「金次郎」と呼ばれていた。田舎
の中学なので、名前の代わりに、屋号やあだ名などで呼び合い、私
は「金次郎」だった。

 「銘意」とは、つまり「詩を書くこと」ではないか。
 父は仏になり、その名前で、私の還暦からの歩み方を再認識させて
くれたのだ。夜中にトイレに行き倒れ、そのまま20日間程意識不明の
まま永眠した父からの、最後のメッセージと思っている。
 還暦の誕生日の朝、さわやかな風に吹かれ、朝顔が揺れていた。


 
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2014トルコの旅  ギュネイケント村  薔薇の香りに包まれて




 バラ園で、花摘み体験をする時間があり、私はさっとギターを取り
出し、3曲歌った。途中で相棒の華岡君もフルートで参加。
 バラの香りに包まれて歌う。何とも、何とも気持ち良い。
   
 今回の旅、最後の公演は小学校の校庭。たくさんの村人が集まり、
地元の織物、オヤ、バラ製品、風船売りも出店し、ちょっとした村祭
りのようだ。

 演奏が終わり、校内で、茶道、書道、生け花、木目込み、絵手紙、
ご縁亀、折り紙のワークショップを簡単に。人が入りきれないほど
大盛況。今年の文化紹介の旅は、こうして無事終わった。

 私の今回の旅のテーマ、「ユヌス・エムレ」と「Memleketim」
をトルコの人たちに届けてきたのであった。
                   (2014トルコの旅 完)
 
        Memleketim
              訳詩 フィリズ・ユルマズ/藤本すすむ

   故郷の空気や水 石や土のために
   一人の友人のために 千人の命が注がれる
   隅々は私の天国 心が痛むほど美しい
   かけがえのない 私の故郷

   片側はアナトリア 英雄たちが住むその胸に
   山で愛の歌を歌う 詩人たち
   羊やオオカミのために 詩人ユヌスやエムラハのために
   みんなの命が注がれる 故郷のために

   伝説の主人公メジュヌンやレイラは 尊い物語だ
   友人の道を探すのなら メブラーナの道を歩くのだ
   生まれ変わったように 海のように流れてゆく
   かけがえのない 私の故郷

   勇気を持った苦労人 民謡を歌う羊飼い
   金持ちも貧乏人も 皆が愛している
   私は人生を楽しみ続ける あとは神様に従うだけ
   かけがえのない 私の故郷
   かけがえのない 私の故郷

  

 
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2014トルコの旅  ギュネイケント村  我は歩くなり



 「ユヌス・エムレの像の前で、ユヌス・エムレの詩を歌いまし
ょう」
  石本会長さんからそんなお話をいただいて、昨年暮れからユ
ヌスの詩を読み、その詩を歌っているトルコの歌手の歌を何曲か
ずっと聴いてきた。
 
 トルコへ行く直前には、東京在住のトルコ人、ムハちゃんに何
度も会い、詩の意味や発音をチェックしてもらった。それも楽し
い時間で、彼から「トルコの人たちはきっと喜びますよ!」と。

 像の前でのコンサートは、学校校庭へ変更になり、実現できな
かったが、ユヌスの像を見に行くと、涼しい木陰で休んでいる老
人たちのやさしい微笑みに出合い、「よく来たね」と歓迎された
気分になる。

 今回のトルコのステージでは、ユヌスの「君の愛」(題・藤本)
をほぼ毎回歌い、トルコの人たちから根深い支持を受けている詩人
であること実感した。

「ユヌス・エムレの詩は難しい」とも言われたが、おそらく詩の深
さに起因するものであろう。イスラムの教え、神秘主義教団の始祖
メブラーナの教えが多分に入っている。

 ユヌス・エムレは、私に「歌を歩く」ことを再認識させてくれた
のだ。


      我は歩くなり 炎となりて
      愛は我を 血に染め
      賢者でもなし 愚者でもなし
      来たれ見よ 我を 愛の仕業を

      時には吹くなり 風の如く
      時には歩くなり 道の如く
      時には流れるなり 奔流の如く
      来たれ見よ 我を 愛の仕業を

    
      我が手を取り  立ち上がらせよ
      我を導き 悟りを開かせたまえ
      泣かせた我を 笑わせたまえ
      来たれ見よ 我を 愛の仕業を

      我は歩くなり 国から国へ
      シェヒを訪ねて 人から人へ
      望郷の念を 誰が知る
      来たれ見よ 我を 愛の仕業を

      哀れなユヌスは 無力なり
      満身創痍 傷がつき
      同志の地を出て さまよい歩く
      来たれ見よ 我を 愛の仕業を

            ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より

 
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2014トルコの旅   天空の遺跡 サガラッソス




  ウスパルタの中心街から、山を越えバスで1時間ほど走った
ところに、天空の遺跡サガラッソスがある。最近知られるように
なったところで、まだ発掘調査中のようだった。

 トルコは遺跡の宝庫である。鉄器時代のヒッタイトから、アレ
キサンダーの時代、東ローマ帝国、オスマン帝国と続く。

 ボドルムにも古代円形劇場があったが、この遺跡にもそれがあ
る。天空に続く劇場で、どんな歌が歌われたのだろう。
 歌が宇宙との交感であり、神への祈りであったろうことは、容
易にうなずける。

      世の中を 歩き回り
      寄ってみれば 国々の民 横たわり
      あるものは尊く ある者は賤し
      固帯の勇ましき男 横たわり

      正しく至れり その道は
      筆を握れり その手には
      小夜鳴鳥を思わせし その口
      かしこきも 若きも 横たわり

      昼も夜も おさなき息子
      小夜鳴鳥のごとき 歌を歌えり
      離ればなれの 母親が
      我が子を待ちつつ 横たわり

           ユヌス・エムレ【薔薇の花束』より
 
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2014トルコの旅   ディナール  陽射しの中で



 ウスパルタから車で1時間。ディナールの市庁舎前の特設ステ
ージで歌う。

 舞台が始まるの前に、右翼の集会があり、赤いトルコの国旗を
掲げシュプレヒコールをし気勢を上げている。
 何処の国にも、右翼、左翼は存在するが、私は「中翼」(仲良
く)である。

 冗談はさておき、日中の屋外のステージは、陽射しが強くて、
観客も居場所が無く、日陰に逃げ込むこととなり、大変な想いを
することが多い。カラデニズ・エレーリ、サフランボルの公演が
そうだった。
 せっかくディナール市長さんも列席したが、木陰のステージの
後ろの椅子に座り舞台を観ていた。
 最後の和太鼓「大太坊」の時に、エーザン(「お祈りしましょ
う」という呼びかけ)が流れる。トルコでは、エーザンが流れた
時には演奏を中断しなければならない。和太鼓の演奏も、尻切れ
トンボになってしまう。

 いろんなことを経験するトルコの歌の旅である。

       
       登ったよ 梅の花に
       そこで 葡萄を食べたのに
       庭番は 叱って曰く
       何故 我が胡桃を食べるか
   
       日干し土を 入れたのに
       大なべに 北の風とわかした
       これは何かと きく者に
       つけてあげた その中味

       糸をあげたのに
       織る人に 巻き玉できず
       その紐や 急ぎ頼まば
       取りに来い 布を

       虫が鷲を抱き
       地面に たたきつけた
       嘘でなし 本当の事
       我も見たり そのほこり

             ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より
           
| - | 04:37 | comments(0) | trackbacks(0)
2014トルコの旅   ウスパルタ  再びシナンに会う



 「お〜、シナンではないか!」ウスパルタの街角で、シナンの
像を見つけた。

    そのレベルにおいて 
    今でも 誰も到達できない
    天才の建築家

 像の碑に刻まれた、シナンへの賛辞である。すぐ目の前に堂々と
たっていたのがシナン・ジャーミーである。
「仕事をしなさい」・・・
薔薇の街で、再びシナンが語りかけてくる。
「仕事をしなさい」・・・


      又問うた 花に
      薔薇は おまえたちの何に当たる
      花曰く 修道僧よ
      薔薇は ムハマンドの汗なりや

      又問うた 花に
      色をどこから 取り入れる
      花曰く 修道僧よ
      月と太陽の 光明からなり

      又問うた 花に
      首が何故 傾くや
      花曰く 修道僧よ
      我が心 神に向かうなり

      又問うた 花に
      おまえの眼 何故濡れそぼり
      花曰く 修道僧よ
      我が胸は 傷つくなりや

           ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より
      

      
 
| - | 04:06 | comments(0) | trackbacks(0)
2014トルコの旅  ウスパルタ  薔薇の街



 

 ボドルムからバスで6時間ほど移動し、薔薇の街・ウスパルタ
へ。整備された高速道路、雄大なトルコの大地や空を眺めながら
のバスの旅。アイドュン、デニズリ、バムッカレの白い丘を車窓
から眺め、デナール、そしてウスパルタへ。

 ウスパルタはトルコで人口5番目の大都市で、この地域は世界で
も有数のバラ油の産地。バラ油は、バラの花びらから抽出した高価
な油で、香料や化粧品に使われる。
 
 ウスパルタに到着するとすぐに、団長の石本夫妻、副団長の武術
の坂井さん、オヤの西田さん、そして私とで市役所へ行き、市長さ
んを表敬訪問。

 シネマセンターでの舞台は、スペース的にも、音響的にも、今回
では一番よかったが、イスラムの宗教的な行事の日と重なり、観客
はイマイチだった。なかなかうまく行かないものである。それでも、
好評の声、笑顔にたくさん触れることができた薔薇の街の公演であ
った。

        問うた 黄色い花に
        己の姿は なぜ黄色
        花曰く 修道僧よ
        愛の苦しみ 山を溶かす

        又問うた 花に
        おまえたちにも 死は あるや否や
        花曰く 修道僧よ
        不死の国 あるなりや

        又問うた 花に
        冬は 何処で過ごすや否や
        花曰く 修道僧よ
        冬は 土になるなりや

        又問うた 花に
        地獄に 入るや否や
        花曰く 修道僧よ
        そこは不信者の 処なりや

        又問うた 花に
        天国に 入るや否や
        花曰く 修道僧よ
        天国は 人間の町なりや

              ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より

 
| - | 03:19 | comments(0) | trackbacks(0)
2014トルコの旅  ボドルム  エーゲ海に遊ぶ




 ビーズの縁飾りのような 美しい海岸線
 クレオパトラが遊んだ 白い砂浜で
 アレクサンダー大王は 沈む夕陽を見ていた
 いくつもの文明が 栄えては滅び
 限りない生命が 生まれては消えてゆく
 
 エーゲ海に 祈りの風が吹く

                詩 / 藤本すすむ
 
| - | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0)
2014トルコの旅  ボドルム  フランスデヴュー




 ボドルム滞在のホテルは、フランス人観光客をメインとしたリ
ゾートホテルで、朝食の時は「ボンジュ〜ル」などフランス語が
飛び交う。

 プールサイドにあるディスコで、フランス人観光客のために、
我ら舞台組が急きょ演奏することとなった。
 夕食でワインをかなり呑んでた私は、気軽に歌おうと臨んでい
たが、いざ開演前になると、用意された椅子にぎっしり、立ち見
も出るほどの盛況ぶり。100人ほどの観客のほとんどがフランス
人で、さて何を歌おうかと、自分の順番が来るまで、考え込んで
しまった。

 トルコ語の歌も意味は通じないだろうから、開き直って、「上
を向いて歩こう」「桜遊行」を日本語で歌うことにした。
 
 シャンソンも大好きです。アダモの「トンブーラネージュ♪」、
アズナブールの「ラボエーム♪」・・・とシャンソンの歌手名を
挙げその一節を歌うと、観客に受け、会場が和やかな雰囲気になっ
た。私の日本語のMCをトルコ人の司会者が、英語でフランス人の
司会者に告げ、それをフランス語に訳して観客に伝える。何とも国
際的なステージである。

 切々と日本語の歌詞で歌ったが、とても反応がよく、アンコール
をもらうことができた。言葉の意味が通じなくても、やはり歌は何
かを伝えることができる。トルコでフランスデヴューしたのだった。

         聞いたろう やあ 同志たちよ
         愛の慈悲 太陽のごとく
         愛無き心 石の如く

         石の心に 何も育たず
         口からは 毒くゆる
         いかにやさしく 言おうとも
         その言葉 戦さの如く

         愛があり 炎となりて
         心溶け 蝋燭となる
         石の心 暗く険しく
         厳寒な 真冬の如く

           ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より

 
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
2014トルコの旅  ボドルム・カレッジ




 小学校(4年制)と中学校(4年制)一貫のボドルム・カレッジでの
公演。まるで大きな浴場で歌うかのような、凄まじい音響の体育館。
生徒と父兄、先生方も集まり、少しざわざわした中で歌う。

 「ボドルム」「幸せなら手をたたこう」「死んだ女の子」と歌い、
北海道から参加のフルート、ギターデュオの本田ファミリーと一緒に
日本の「故郷」、トルコの「故郷」を演奏。体育館いっぱいに手拍子、
や歌声が響き渡った。

 演奏後、子供たちと握手して回る。僕にも、私にもと言いたげに近寄
ってくる子供たちの笑顔がカワイイ。トルコでの学校公演も3回目で、
何がどう伝わっているのかは全く解らないが、楽しいひと時である。

 「私たちが この国を築いた
  それを引き継ぐのが 君たちだ」

以前、ある小学校で、トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュル
クの言葉を見つけたとき、「これがトルコか。すごいな!」と感じた。
日本の子供たちは、教育は如何に・・・

        
     水車よ 汝 何故きしむ
     我が苦患ゆえの うめきなり
     我 天主に恋焦がる
     それゆえの 我がうめきなり

     苦悶の水車 我が名なり
     我が水 流れほとばしり
     神 我に此を 命じけり
     それゆえの 我がうめきなり

     我 水を汲み 低きより
     回りて又落とす 高きより
     見よ 我を この艱難を
     それゆえの 我がうめきなり

          ユヌス・エムレ『薔薇の花束』より 


   
| - | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0)
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