2014.07.15 Tuesday
還暦の誕生日
今日は60歳の誕生日。還暦となった。生まれたときに還る歳だ。
20歳になったとき、30歳になったとき、40歳になったとき、50歳
になったとき、それぞれの区切りの時に、想うべき何かはあったは
ずだが、はっきり思い出せない。
「自分をしっかり生きねば」という漠然な想いで酒を呑み、誕生
日を誰かと、あるいは一人で祝っていただろう。
ただいつも健康で元気だったことは確かで、今日も元気そのもの、
晴々した気分で朝を迎えた。
昨年秋の新CD制作のレコーディングに始まり、立川パレスホテル
新春コンサート、6月のトルコの旅も、迎える還暦をかなり意識して
のことだった。来し方を振り返りながら、行く末を見つめてきた。
6月27日に、故郷新潟の父が享年94歳で永眠したことは、さらに
「残された時間」の生き方を考える機会にもなった。
父の法名は釈銘意。家の宗派は浄土真宗大谷派で、浄土真宗では、
一般には戒名という死んだときの名前を「法名」という。また「釈」
とは、釈尊(ブッダ)の弟子になることで、仏の道を生きる人をい
う。「銘意」は住職が父に付けたもので、「金次郎」という名から、
金偏の「銘」を使ったと説明してくれた。
「銘」・・・記す。書きつける。きざみこむ。心に刻み込んで忘
れない。
「意」・・・こころ。心ばせ。志向。思い。考え。おもわく。
(広辞苑より)
須田の中学時代、私はみんなに「金次郎」と呼ばれていた。田舎
の中学なので、名前の代わりに、屋号やあだ名などで呼び合い、私
は「金次郎」だった。
「銘意」とは、つまり「詩を書くこと」ではないか。
父は仏になり、その名前で、私の還暦からの歩み方を再認識させて
くれたのだ。夜中にトイレに行き倒れ、そのまま20日間程意識不明の
まま永眠した父からの、最後のメッセージと思っている。
還暦の誕生日の朝、さわやかな風に吹かれ、朝顔が揺れていた。