2012.10.23 Tuesday
わが故郷 須田の歴史 2
(北潟の菅原神社)
須田で開拓の古い地は、鵜の森と五反田でした。五反田は慶安年間(1648〜
1653)、佐渡の渡辺三郎衛門が一族郎党を引き連れ、信濃川の中洲に定着し、
5反歩を開拓したところからその地名は由来します。
大正4年、長岡の長生橋架け替えの古材で、五反田橋が完成したのですが、そ
れまでは、加茂新田の上仲組との間に渡し船が有り、清次郎渡しと言いました。
五反田は交通の要所であったわけです。
また新潟・長岡間の信濃川流域に漁れる鮭は、五反田で漁れるものが最も美味
しいと言われ、毎年新発田の藩主に献上していたそうですから、漁場としても重要
な地でした。
「須田にはヤクザがいる」ということが、そんな歴史からも頷ける気がします。
教育面においては、安永6年(1777)新発田藩主溝口直養が、鵜の森に講堂を
つくり朱子学などが講義されてたようです。
幕末の弘化の頃には、鵜の森の西方藤次郎が「小塾舎」を開き、子弟を教育した
とのことです。
田んぼと畑しかないところと思っていましたが、面白い歴史が有りました。
人間国宝の瞽女・小林ハルさんの最初の親方が後須田の人だったということを
知り驚きましたが、須田にはそういう人がいておかしくない歴史が、ちゃんとあった
ようです。
いつか、じっくりと須田の歴史をまとめてみようと思っています。
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