藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

わが故郷  須田の歴史  2

                                      (北潟の菅原神社) 

 須田で開拓の古い地は、鵜の森と五反田でした。五反田は慶安年間(1648〜
1653)、佐渡の渡辺三郎衛門が一族郎党を引き連れ、信濃川の中洲に定着し、
5反歩を開拓したところからその地名は由来します。

 大正4年、長岡の長生橋架け替えの古材で、五反田橋が完成したのですが、そ
れまでは、加茂新田の上仲組との間に渡し船が有り、清次郎渡しと言いました。
五反田は交通の要所であったわけです。

 また新潟・長岡間の信濃川流域に漁れる鮭は、五反田で漁れるものが最も美味
しいと言われ、毎年新発田の藩主に献上していたそうですから、漁場としても重要
な地でした。
 「須田にはヤクザがいる」ということが、そんな歴史からも頷ける気がします。


 教育面においては、安永6年(1777)新発田藩主溝口直養が、鵜の森に講堂を
つくり朱子学などが講義されてたようです。
 幕末の弘化の頃には、鵜の森の西方藤次郎が「小塾舎」を開き、子弟を教育した
とのことです。

 田んぼと畑しかないところと思っていましたが、面白い歴史が有りました。
 人間国宝の瞽女・小林ハルさんの最初の親方が後須田の人だったということを
知り驚きましたが、須田にはそういう人がいておかしくない歴史が、ちゃんとあった
ようです。

 いつか、じっくりと須田の歴史をまとめてみようと思っています。
 
 ・・・・・・・・・・
| - | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0)
わが故郷  須田の歴史
 
                              (用水路の右の家が私の実家)

 自分の故郷を「田んぼと畑しかない所」と思っていた。このところ「田んぼと畑
があった所」と、その想いが変わってきた。須田の歴史を調べてみると興味深い
ことがたくさんあった。

 9月に新潟を旅し、湯田上温泉の「わか竹旅館」で須田中学1年の時の音楽の
M先生と40年ぶりに再会した。翌日加茂の図書館に行き、須田の歴史を調べて
みた。興味深い事実に興奮した時間を過ごした。

 M先生にお礼の手紙を書いたとき、須田の歴史の一部を簡単に添えた。
わが故郷、新潟県加茂市須田の歴史である。

 須田は室町・戦国時代までは、青海庄お弥彦庄の領地でした。その後、上杉氏
所領の時代を経、永禄年中(1558〜1569)清和源氏の子孫である須田相模守
義国・須田右衛門光義・須田大炊介長義、三代の所領になりました。
 須田氏は後須田に館を構え、須田・庄瀬一帯を領としました。その須田氏の館跡
に地蔵院が開かれたようです。

 やがて上杉氏の会津移封の後を受けて、溝口秀勝が新発田に入封以来約270
余年新発田城主溝口氏の所領となりました。

                                         (あすに続く)

| - | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0)
四谷 越後路で
 
| - | 02:40 | comments(0) | trackbacks(0)
中澤茂油絵展    どこかの田舎道を歩いているかも
 
                                         (パンフレット)
 
 銀座の画廊で高校の大先輩・中澤茂さんの個展を観た。「雲南・貴州 ー稲作
農民と子供達」というタイトル。2年前の2010年に舌癌でなくなっているので、遺
作展となり、生前の中澤さんに会うことができていたならどれほど嬉しかったろう
と思わずにはいられなかった。

 たくさん旅をし創作してきた人だ。メキシコに始まり、ネパール、シルクロードの敦
煌・パキスタン・ガンダーラ、インド、ブータン、スリランカ、トルコ、タイ、ミャンマー、
アフリカへも。

 そして、雲南・貴州の農作民を描くことにたどり着いたとのこと。中澤さんは私と同
じ農家の次男坊。「越後望郷」がたくさんの絵の中に感じられた。

 作品集のカタログの「はじめに」の中で奥さんが書いている。

   これからはゆっくり日本を描きたいなぁと言いながら旅立ちましたが、
  今頃はどこかの田舎道を歩いているかもしれません。
| - | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0)
2013.1.27 新春チャペルコンサート チラシ完成
 
   この1月のパレスホテルでのコンサートでは、立川の歴史を調べ
砂川闘争の時に「赤とんぼ」が歌われたことを知り、「砂川の赤とん
ぼ」という歌を発表した。

 今回はパレスホテルで第二弾となるコンサート、それもバーからチャ
ペルへ。チラシを作りながら、チャペルの雰囲気にマッチするような新
曲を準備し、構成を考えようと、レイアウトや色合いの細かいチェックを
した。

    歌を歩く 風の靴をはいて

想いありて歌がある。また一歩を踏み出すのだ。 
| - | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0)
卓球ロック 国公立OB戦に出場
 

 埼玉県蕨市の蕨市民体育館で、第16回国公立OB団体戦が行われた。我がチ
ーム「ロッカーズ」は3年ぶり3回目の出場。

 私が一番年若で他の4人は、私より少し上。気持ちだけは若者に負けないと自負
している面々なので、一般の部に参加。大学を卒業したばかりのような若者たちと
戦った。惜しい試合もあったが、私もチームも全敗。

 私は3年前に壊した右肩がようやく最近完治したかと思ってたが、朝からズキンズ
キン痛んでいた。肩の調子はバックサーブでわかる。サーブミスが多かった。
 右肩の完治にはまだ時間がかかりそうだが、スポーツ選手は怪我とも戦いながら
いかに勝つかである。
 ただ、私にとっては楽しみの卓球である。いい汗かいて100点、勝てば120点と考
えながら続けて来た。これからもこのスタンスでいい。それが私のやり方だ。

 卓球仲間との打ち上げがいつも楽しくて、続けているようなところもあり、今回も蕨
から新橋へ繰り出し、いろり居酒屋で3時間半ほど飲み、カラオケへ。私は石川さゆ
りの「飢餓海峡」とフランクシナトラの「My Way」(英語)を歌った。
| - | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0)
動物フェスティバル in 福生
 

 もうコスモスが咲き終わるように、風に揺れていた。多摩中央公園
に様々な種類のワンちゃんを連れた人たちが散歩がてら来ていたよ
うだ。

 特設ステージで、フラダンス、ロックバンド、エレピ演奏、紙芝居
などがあり、私はギターの弾き語りで参加。

 
 演奏の途中、発電機のガソリンが切れPAの音が出なくなるという
ハプニングもあったが、「幸せの国ブータン」「100万回生きたねこ」
など数曲歌った。

 
| - | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0)
横浜市大フォーク研究会 OB会
 

 赤坂のライブハウスで二年ぶり二回目のOB会があった。フォーク研究会創設
者の一人Kさんが、この8月北アルプスの北穂高で滑落して死亡した。下山中登
山道からおよそ100メートル滑落し、ほぼ即死だったという。

 1月に四谷コタンへ新年会を兼ね私の演奏を友人たちと聞きに来てくださった。
演奏後荒木町の店で一緒に呑んだのが最後であった。
 Kさんの追悼に歌を歌わせてもらい冥福を祈った。

     
       北穂高

  夏空見上げて 歌っていたか
  さらなる夢を 想っていたか
  足を滑らせ 谷底へ
  あなたが帰らぬ 北穂高

  家族を愛し 友を愛し
  歌を愛した 眼差しを
  酒に浮かべて 思い出す
  帰らぬあなたの 北穂高


| - | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0)
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