藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

日本語ってどんな言葉? 
 

 2007年、イスタンブールで歌った会場で私の歌を聴いていた大阪の方
からメールをいただいた。
 「あの時、トルコ語で、『幸せなら手をたたこう』を歌っていた方ですね。
ホームページを偶然見つけ、メールしました。…」
 イスタンブールの旅行中に、たまたま息子さんと会場に来てくださってい
たようだ。思いもかけぬメールに少し驚き、また、ありがたかった。
 海外で歌うことは、自分にとって貴重な体験になっているが、私の歌が
思い出となっている人もいると思うと、歌い手冥利につきる。

 先日、渋谷区ケアコミュニティー・美竹の丘で「トルコ語の空気 日本語
の空気」という講演を聴いた。似ているといわれるトルコ語と日本語の比較
から、日本語の特質を説明する内容だった。
 講演は正味1時間ほどだったので、ポイントをかいつまんだほどの内容
だったが、トルコにご一緒した方、トルコに係わりや興味のある方がたくさ
ん見えていて、講演の後のだんらんが楽しかった。

 講師のアイシェヌール・テキメン先生は、チラシのプロフィールによれば、
相当な実績・経歴を持ち、トルコ語・日本語・英語・ドイツ語を自由に操り、
趣味は「将棋」と「剣道」、剣道は三段の腕前という。
 トルコではアンカラ大学の日本語日本文学科の学科長で、私のCDで「イ
スタンブール」のトルコ語訳・朗読をしているギュルジェさんや、トルコでお世
話になったアンカラ大学の学生たちの先生だった。

 講演後のだんらんで、アイシェヌールさんに、学生たちにいろいろとお世話
になったことを話すと、
「かえってご迷惑かけたんじゃないですか?」
気品と知性を感じる笑顔とともに、控えめなことばが返ってきた。

 
1. トルコ語と日本語の類似点
     ・ 語順が似ている
     ・ 単語に助詞や助動詞がある
     ・ 格がある
     ・ 原則として主語が文頭の先に来る
     
 2. 実は
     ・ 膠着語である
     ・ 事態を主観に把握する言語である
     ・ 「空気」を「気にする」言語である 

 講演のレジュメの主とする内容である。さて、私はこれらをどう読もう?



| - | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0)
沖縄慰霊の日 平和のいのり
 
                 (喜屋武岬にて ギターの幡手さんと 2006年7月)


  今日6月23日は、沖縄慰霊の日。お昼のNHKテレビで「沖縄全戦没者追悼式」
の模様がライブで報じられていた。沖縄戦から64年目の慰霊の日である。
 平和の礎(いしじ)に名前が刻まれた人の数は、240,806人という。汗を拭きなが
ら礎に向かい合掌する姿が胸にせまる。 

 追悼式の中で、小学生の詩の朗読があり、じっと聞き入った。


               平和のいのり
                        南城市立大里北小学校6年 比屋根憲太

              
           石に刻まれた家族の名に 
           涙を落とす祖母

           何のかたみも残っていない石に
           声にならない声で
           石をさすり 
           石を抱きしめる

           小さな声で
           とても小さな声で
           「ほんとうは 話したくないサー」
           少し首をかしげて 
           空を見上げる

           人差し指の大きさの
           大きな傷
           あごと左腕に残る
           戦争の傷跡

           祖母は傷の手当てをするために
           水汲みに行った
           防空壕に姉を残し
           母と二人で

           そのあとすごい音と光が

           そのまま姉は戻らなかった

           「いっしょに連れてゆけばよかった
            ごめんね ごめんね」
           と何度も何度も 

           来たときよりも 
           石を強くさすり 
           石を強く抱きしめる

           僕はもう声を上げて泣いていた
           そして 
           祖母の背中をずっとさすった

           こんな青い空に 
           こんな穏やかな沖縄に
           戦争は似合わない
           祖母のくしゃくしゃな涙も似合わない

           そんな祖母は 
           もう今は歩くこともできない

           毎日毎日空を見て
           きっと 
           生きている喜び
           生き残った悲しみをを
           感じているのだろう

           ぼくは車イスをおして
           祖母のいのりを引きつぐ

           戦争のない平和な国を 


 憲太君は、紛争の絶えない今の世界に向けて、自分の祈りを届けたいと、
この朗読に臨んだという。
 感動的な、11歳の少年の詩の朗読であった。

 3年前の7月、「カタクリの花」の縁から、沖縄で歌う機会を持つことができた。
その時お世話になった舞台朗読の沖縄可否の会から、活動状況などの便りが
届く。沖縄本島縦断、全市町村での公演、離島も1町4村を除くほとんどを回り、
総公演数278回になるという。恐るべき「輝く女性たち」である。
 学校公演も多数行っているから、多くの生徒たちに「朗読夢舞台」の感動を届
けているのだろう。きっと、詩を朗読した憲太君も聴いたことに違いない。 

 「沖縄戦を考える6月23日・慰霊の日、この前後に可否の会は平和記念資料館
や学校の平和学習の場に呼ばれます。…私たちの朗読と藤本さんの歌で、学校
公演ができたらいいななんて思いながら、藤本さんの新しいCDを聴いています。
 …」
メンバーのMさんから,CDの感想を含め長い手紙が届いた。
| - | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0)
6・18 はっぽんライブ 4 西行桜
 
                      (奈良吉野 西行庵 / 奥千本の山桜 4月)

 新曲『楊貴妃桜』の2番・最後部分に

     若さも命も刹那の夢 おぼろ月夜の歌へんろ
     まぼろしの春を謳え 西行桜

という詩を書いた。

 願わくば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ (続古今和歌集)

 歌人・西行(1118年〜1190年)の代表作である。生涯に2000首以上の歌を詠
み、月の歌を約400首、桜の歌を約270首詠み、「花月の歌人」とも呼ばれている。
 23歳で出家し、諸国を巡り、漂白の旅に出て、多くの和歌を残した。出家の動機が、
友人の急死にあって無常を感じたためという説もあるが、失恋説もあるようで、失恋
説を基にした小説が、白州正子、瀬戸内寂聴、辻邦生によって書かれている。
 「女は俺の成熟する場所だった」と、かの批評家・小林秀雄も言っているが、失恋が
歌人・西行を生んだと考える方がおもしろい。

 今年の春は、天候のため長く桜が咲いていたのか、自分に桜を見るゆとりがあった
のか、例年以上に桜を感じながら春を過ごしたように思える。

 4月のはっぽんライブの翌日、桜の名所・吉野を旅した。下千本から奥千本まで、
ゆっくり2時間ほど歩いたが、睡眠不足がたたって足が重かった。
 8年ほど前、一度吉野を訪ねている。西国三十三観音巡りをしていたときで、飛鳥
の岡寺、壺坂寺を訪ねる前に、吉野に行った。3月末で、その時は奥千本あたりには
まだ雪が残っており、西行庵を訪ねることが出来なかった。今回はぜひとも西行庵ま
で足を延ばしたかった。
 西行庵の前の山には、まだ山桜がひっそり咲き、広場では花見のグループが、
遅い春を囲んで酔っていた。

 こんな山奥に、西行は庵を結んでいたのだ。

   花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に  (西行)


『西行桜』 とは … 世阿弥作の能楽作品。成立は室町時代。

あらすじ

京都、西行の庵室。春になると美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。しかし、
今年、西行は思うところがあって花見を禁止した。一人で桜を愛でていると、例年どうり
多くの人々がやってきた。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返すわけに
もいかず、招き入れた。西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」
という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。

その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。「桜はただ咲くだけのもので、咎
などあるわけがない」と言い、「わずらわしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。老桜の
精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜
の精も消え、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。

                                フリー百科事典『ウィキペディア』より

     
| - | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0)
6・18  はっぽんライブ 3 指先の宇宙

  今回のライブで、新曲「指先の宇宙」を発表した。


 目が見えず、耳も聞こえない。ヘレンケラーと同じような障害を持つ東大教授・福島智。
羽根をもがれるようにして、光と音を失って育つ。三歳で目に異常がみつかり、四歳で右
眼を摘出。九歳で左の視力も失う。十四歳で右耳そして十八歳ですべての音も奪われ
「盲ろう者」となる。無音漆黒の世界にたったひとり。地球からひき剥がされ、果てしない
宇宙に放り出されたような孤独と不安。それを救ったのが母の考案した「指点字」と「指
点字通訳」の実践だった。盲ろう者として初めて大学に進学、いくつものバリアを突破し
てきた。そして恋も結婚も…
                          『ゆびさきの宇宙』 福島智・盲ろうを生きて
                                生井久美子/ 岩波書店 より


                     指先の宇宙
                                  作 福島智
            
               ぼが光と音を失ったとき
               そこにことばがなかった
               そして世界がなかった

               ぼくは闇と静寂の中でただ一人
               ことばをなくして座っていた

               ぼくの指にきみの指が触れたとき
               そこにことばが生まれた
               ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した

               ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
               そこに新たな宇宙が生まれ
               ぼくは再び世界を発見した

               コミュニケーションはぼくの命
               ぼくの命はいつもことばとともにある
               指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに

 
 5月末の日曜日、国立市の東京都多摩障害者スポーツセンターで、目の見えない人
の卓球「サウンドテーブルテニス」競技大会のお手伝いをした。
 40ミリのピンポンボールの中に鈴が入れられてあり、その鈴の音をたよりに板状のラ
ケットで卓球台上をすべらせ、得点を競う競技である。選手は目が見えない障害者であ
るが、競技として完全に見えない状態にするため、アイマスクを着用する。

 東京都選手団の選考会も兼ねた大会で、準決勝あたりから、技の応酬がが見られた。
鈴の音だけが頼りの競技だから、その緊張度は相当なものである。
またその競技を見守る盲目の選手、家族、先生、ボランティアスタッフもピリピリした雰囲気だ。
主審は、「ハンド」「ホールディング」などポイント原因をことばで判定の説明をしながら進める。 
ボールが台の上で止まりそうになるとき、鈴の音はゆっくり小さくなってゆく。選手も審判も会場
の応援者も、息を殺す瞬間である。 

 そんな余韻が残っていた頃、書店に行き、書棚を何気なく見ていたら、この本「ゆびさきの宇
宙」が目に留まった。早速買い求め読んだ。人間の可能性、福島さんの絶望と努力、周りの人
たちの協力・愛情…感動する。
 
 ことばを腐るほど持っていているのに、私は誰に、何をコミュニケートするのか?
そんなことを考えながら、巻頭に掲載されている福島さんの詩に曲をつけさせていただき、「こん
な本があり、こんな人がおり、こんな世界があります」というメッセージとして、ライブで歌った。

 福島さんは、中学生になって、初めてサイモンとガーファンクルの『スカボロフェアー』を聴き
感激したという。
 フルートとギターで、『スカボロフェアー』を演奏してもらい、「では、指先の宇宙」。                 

| - | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0)
6・18 はっぽんライブ 2 国立の歌姫
 

 ライブで、国立の歌姫・林こずえさんに「越後望郷」を歌って頂いた。
この写真は、私のホームページのリンクコーナー・ブログ「瑞穂クラブワールド」の
小蔵さんから提供して頂いた。

 この3ヶ月ほど「ふらねこ」からも遠ざかり、仲間のブログも読んでいなかった。
卓球にも歌にも評価の厳しい小蔵さんが、ライブが終わり視線を合わせたとき、
無言の微笑とうなづきを投げかけてくれ、少し安堵していた。
「瑞穂クラブワールド」を久々に開くと、「はっぽんライブ」の写真と、コメントが掲載
され、ライブについての卓球仲間のコメントのやり取りが、すでにいくつかアップさ
れていた。私も早速仲間に入れてもらい、お礼のコメントを書き込みした。

 林こずえさんは、近日、島倉千代子さんや秋本順子さんとも共演する演歌歌手
なのだった。老人ホームへの慰問活動もづっと続けており、国立では体育協会主
催の秋のウォーキング大会のアトラクションで、もこの2年歌っているという。
 私もそのアトラクションで歌わせて頂いており、ちょうど私が歌っていないこの2年
に出演していたことになる。その関係で、体育協会の人たちともお付き合いがあり、
今回は副会長の峰岸さんが、ライブに来てくださっていた。

 世間は狭いな、国立は狭いなと感じたもう一つ。林こずえさんが歌を教えている
学園通りの喫茶店「葡萄屋」のママさんと、長年私が仕事でお世話になっている開
業医の女医さんとがたまたま知り合いで、 6月初め頃、「葡萄屋」を訪ねた。
 国立の共通の知人や歌のことなど会話が弾み楽しい時間をすごした。 国立に
私の新しい店が出来たのである。

 林さんの歌は、長年歌い、歌を教えているだけあり、歌う表情、歌い方など「さすが、
うまいなー」と感じる。秋本順子さんにも似た、中低音の太い歌声で耳障りがいい。
抑揚の大きさ、ビブラートのふるわせ方で「越後望郷」が、こんな歌になるんだと思う
ほど、スケールの大きな歌になった。
 バック演奏で、私もギターを弾いた。今までに無い嬉しさがあった。観客の方々から、
「越後望郷、いいねー!」という声をたくさん聴くことが出来た。歌う人により、歌は生ま
れ変わるのだ。

 「人に曲を提供し、歌ってもらうことを、真剣にやってみたら」
ずっと、私の歌作り、ライブを見ている、はっぽんのマスターからの言葉であ
る。

 

 

 

 
| - | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0)
6・18  はっぽんライブ 1 楊貴妃桜

 

              
                            楊貴妃桜
                  作詩・作曲 藤本すすむ

             この街にさくらの花が 咲き匂う春の日
             花かげに佇めば ひらひら思い出舞う
          亡き人 別れていった人 愚かに過ぎた春いくつ
         酒にも恋にも魔がひそみ 酔うに懲りない花へんろ
                 麗しき春を謳え 楊貴妃桜

             雪のように咲きこぼれ 桜吹雪の春の夜
             花かげを急がされ 人の世はなおあわれ
           誰のため 何のために この先出逢う春いくつ
          若さも命もせつなの夢 おぼろ月夜の歌へんろ
               まぼろしの春を謳え 西行桜

          亡き人 別れていった人 愚かに過ぎた春いくつ
         酒にも恋にも魔がひそみ 酔うに懲りない花へんろ
                 麗しき春を謳え 楊貴妃桜


 はっぽんでのワンマイライブ「歌を歩く」が、ちょうど30回目となる。このシリーズの
第1回目が2004年4月14日で、ちょうど四国八十八箇所のへんろ旅を開始し、高知
を巡っていたころだった。ほぼ隔月に行ってきたライブで、当初はギターの弾き語りが
中心で、フルートの華岡昌生さんに少しサポートしてもらう程度だった。CD「歌を歩く」
が完成した、2006年7月からは、ギターの幡手康隆さん、バイオリンの宇野未祐紀さん
が加わり、現在の三人のサポート編成で続いている。歌間のMCなども含め、ようやく、
ステージでも少し息が合うようになったかなという感じである。

 2005年4月、このシリーズ第7回目で、太田スセリさんをゲストでお招きしていた。
もと「ペコチャン」というお笑い女性コンビのひとりで、たまたま国立出身で、今は無き
もつ焼き屋「文蔵」さんで偶然出会い、「じゃあゲストで」という運びになったのだった。
 それから半年も立たないうちに、「ストーカーと呼ばないで」という歌で超売れっ子に
なり、エッセーも出版し、TV「徹子の部屋」にも出演したのだから、世の中面白い。

 今回は記念すべき30回ということでもないのだが、昨年のラジオFMたちかわ出演の
縁から、お呼びいただいた忘年会で、たまたま席が隣となった国立在住の演歌歌手・
国立の歌姫こと林こずえさんをゲストにお招きした。
 「藤本さんは、自分の歌を誰かに歌ってもらったらいいんじゃないの」
ライブ活動を始めた頃から、よく言われたものである。 ある演劇の挿入歌で自分の作
詩した歌が歌われたこともあり、またコタンに出演していたデビュー前の演歌歌手(その
後不明)から、「『親不知・冬の旅』を是非歌わせて下さい」と、ジョイントライブを開催して
もらったこともあった。
 林こずえさんに、私の少し演歌調のオリジナル曲から選曲してもらったら、『越後望郷』
をお願いしますということだった。どんな風に歌って下さるか楽しみだった。

 今回のライブのため、新曲が完成した。国立にちなみ、桜をイメージした歌詩、少し演歌
調のメロディーを意識して作り上げた。
 この半年の自分の出来事、周りの人たちの出来事などから得た想いを中心に出来上が
ったのが、この『楊貴妃桜』である。
 四月に奈良・京都を旅したとき、奈良の猿沢の池から春日大社にゆく道の傍らに、たまた
ま見つけた楊貴妃桜が、その言葉のヒビキとともにずっと印象に残っていたのである。

 ソメイヨシノは花が咲いてから葉が出て来るのだが、楊貴妃桜は遅咲きで葉が先に出る。
つぼみのうちはかなり濃い桃色をしており、花が開くにつれ色が薄くなってくる。
 唐の玄宗皇帝が寵愛した、絶世の美女・楊貴妃は、花舞う長安の象徴であった。
 


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