藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

FMたちかわ トルコが好きなんです

<イスタンブール 朝の海峡>

 FMたちかわ『明朗とK子のトークルーム・今週の話題曲』の最
終日27日、スタジオに遊びに行った。どんな曲が、どんなトーク
のあとオンエアーされるか、日々楽しみな一週間であった。

 オンエアー日は少し前後したところもあったが、私の希望した
歌をオンエアーしていただいた。『カタクリの花』『イスタンブ
ール』『100万回生きたねこ』『黒髪ゆらせた風』『雪のブナ林』
が日替わりで一週間流れた。このコーナーで日替わりで流したのは
開局以来初めてのことという。『カタクリの花』は10分の歌だが、
10分もの曲を流したのも開局以来、初めてという。2つの記録を塗
り替えたのだった。

 最終日のスタジオでは、今回のトルコの旅のメインであった「藤
本すすむ・ナーズムを歌う」のコンサートの話をし、『雪のブナ林』
をオンエアーしてもらった。
 今回は、時間がわずかだったので、準備していたことの話が、
どこか欠落したりし、つじつまの合わないところも出てしまったよ
うだった。
 ラジオ番組でのトークは、簡潔に要点を話すべき心がけが必要な
んだと勉強になった。ライブでのMCももっと考えないといけない
な思っているが、普段何を考えているか、それを簡潔な言葉で表現
できるかが大事なのだ。

 「今週の話題曲の藤本すすむちゃんです」とK子さんに紹介され
番組は始まった。
 「どんな感じで番組やご自分の歌を聞かれましたか」と明朗さん。
 「明朗さんの明朗なおしゃべり、K子さんの軽薄なおしゃべり…。
  間違いました。軽妙なおしゃべりが…」
私は、笑いをねらったジョークを一発。スタジオは爆笑!
 ジョークは、失礼すれすれの場合が多い。

 「一週間、いろいろな歌を聞かせてもらいましたが、藤本さんの歌
は物語ですね。歌は物語ですが、藤本さんの歌には深くそれを感じま
した。」「歌への想いを感じます」「1つの歌で1冊の本が書けそうで
すね」と明朗さん、K子さん。
 「ありがとうございます。自分でも時間と空間を意識して歌を創っ
ています。」「1曲1曲、その背景には事実としてのドラマがあります」
 『雪のブナ林』が流れ、「いい歌ですね」「きれいなメロディー」で
すね、と感想を語っていただいた。この歌は、原作者にも、私にも背景
にドラマのある歌である。
 
 先週のゲスト出演の放送と、今週の話題曲を録音しCDにしてもらえ
ることとなった。聞き逃した日もあったので、またゆっくり聞き返して
みようと思っている。

 「藤本さんは、話したいことが一杯ありそうですね」
 好きなことをベラベラ話したくなる悪い癖が私にはあるが、今回の旅
で、「トルコが好きだな」と、あらためてその思いを強めている。

 そして、6月が終わる。
 
 

| - | 00:38 | comments(0) | -
ラジオから 『 カタクリの花 』

<沖縄・平和の礎>

 6・23、今日は沖縄慰霊の日。一昨年前、四谷コタン亭主・三上左京
さんから、「藤本君、沖縄慰霊の日に『カタクリの花』を、沖縄で歌
ってみては」と進められ、多くの人のご協力で、その7月沖縄ライブ
ツアーを行うことができた。
 そのライブをきっかけに、沖縄の知人もでき、沖縄がいつも意識の中
にある。また、歌いに行きたいと。

 FMたちかわの「明朗とK子のトークルーム・今週の話題曲コーナー」
(FM84.4MHz PM1:40ころから)で、今週、私の歌が、日替わりで
オンエアーされる。
 昨日の日中は仕事で外出していたので、番組を録音してもらい、夜ゆっく
り、腰を据えて聞いてみた。
 番組が終わってすぐ、携帯に、家で聞き録音してくれていたかみさんから
「カタクリの花」がオンエアーされ、ほとんどわたしの歌をほめないのだが
「なかなか良かったよ」との電話が入り、少しほっとしていた。
 
 おそるおそる、テープを回した。明朗さんとK子さんの、楽しく、軽や
かなトークの中に、カタクリ、歌ができた行きさつ、沖縄慰霊の日の話が織
り込まれ、とてもいい感じだ。
 電波に乗り、風になって、自分の歌が流れ、人の心に届いたらたらいいな
とずっと思っていたから、まさにその瞬間である。

 トークのあと、K子さんが曲目の紹介。
「今週の話題曲、藤本すすむで『カタクリの花』」…
 ずっしり重く自分の歌を聞いた。

 今日は、これから四谷コタンのライブ。
『カタクリの花』の朗読部分をトルコ演奏用に変えたバージョンで歌う。

 
| - | 13:17 | comments(0) | trackbacks(0)
FMたちかわにゲスト出演

<FMたちかわアナウンサーと>

 FMたちかわの「明朗とK子のトークルーム」という生番組に30分ほど
ゲスト出演した。ラジオ番組の出演は初体験。歌との出会い、現在の仕事
と歌の係わり方、歌の活動、今回のトルコの旅などを、アナンサーの質
問に答える形で話し、1曲生演奏。

 FMたちかわは、立川駅北口から立川通りを3分ほど歩いた菊屋ビルの
9階にある。1・2回は診療所が入っており、私が毎年人間ドックを受けに
行くところである。番組の出演は午後3時からなので、「20分前に来て下
さい」と言われていたが、余裕を持って2時10分ほどに到着。
 こじんまりしたロビーに一人の女性が、新聞などの資料の整理をしてい
た。私が出演する番組は、午後1時からの4時までのワイド番組で、すでに
その番組は始まっており、小さなモニター画面で、収録スタジオの様子が
伺えた。中村雅俊の「何気ない毎日が風のように過ぎてゆく…」(タイト
ルが思い出せない)という歌が流れてきた。私が20歳頃にヒットしていた
歌で、少し口ずさむと、ロビーのその女性がクスッと笑った。「いやー、
懐かしくて」と照れ笑いし、少しお話した。
 東京ヴェルディー応援番組のパーソナリティーの愛ちゃん。「サッカー
のことは何にも知らなかったのですが」という。「何でも興味を持てば
面白いですね」と私は言ったが、実は私もサッカーのことはほとんど知
らないのだった。FM立川は、開局してようやく1年になることを彼女か
ら聞いた。

 2時50分ころスタジオに入り、ディレクターと、私の現在の仕事につ
いいて雑談。やわらかな物言いで、話をする雰囲気に持っていってくれ
る。番組中、ギターで1曲歌うことになっているので、軽くさわり部分
を演奏し、ボリューム調整をする。
 3時ちょうど、私のコーナが始まる。「立川のみなさん、こんにちは。
はじめまして。藤本すすむです」
 特に上がることもなく、普段、人と話しているような自然の感じで話し
せたのは、アナンサーの明朗さんとK子さんのうまい誘導と、慣れた柔ら
かな話し方のおかげだと思う。

 生歌コーナーでは「イスタンブール」を、トルコ語で少し歌い、続いて
日本語で歌った。ライブのようにギターをガンガン弾き歌った。
 じっと聞き入っていた明朗さんからは「熱唱ですね」、K子さんからは
「この歌にはトルコのすべてが入ってますね」と感想を語っていただいた。
卓球の話にもなり、あっという間に30分ほど過ぎた。
 最後にCDから1曲。打ち合わせで、私は「カタクリの花」をお願いした
のだが、10分の歌で長すぎるので却下され、「では、これも少し長いので
すが『市民卓球大会』を」と申し出た。ディレクターにタイトルで大受け、
「それで行きましょう」ということになった
 明朗さんが「この曲で藤本さんを送りましょう。では『市民卓球大会』
という歌です」
イントロが流れてきた。無事、生放送は終わった。

 来週月曜から金曜の午後1時40分から、同じ番組の「今週の話題の歌
コーナー」で私のCDからの歌がオンエアーされることになった。
通常は、同じ曲を1週間流していただくのだが、私は「カタクリに花」
「100万回生きたねこ」「黒髪ゆらせた風」「イスタンブール」など
毎日別な曲をお願いした。

 FM局出演のきっかけは、私の行きつけの理髪店、西国立駅前のバ
ーバータカオカさんに明朗さんもいらしてるということから、マスタ
ーが明朗さんに私のことを紹介してくださったのだ。
 帰りにタカオカさんに挨拶に行くと、マスターが嬉しそうな顔で感
想を語ってくれた。
 「今回のためにFM放送が良く入るチューナーを買い、従業員みん
なで聞いていましたよ。藤本さんは話も、ギターもうまいですね。
ギターの音がとてもよかった。「イスタンブール」はいい歌ですね。
『市民卓球大会』はみんなでクスクス笑ってました。
今度ライブに行きますよ。仕事そっちのけで聞いてました」

 トルコの旅、はっぽんライブ、FM生番組出演が終わりちょっと
一息。卓球のラバーを張替えに多摩スポへ行き、1ヶ月半ぶりに卓球
の練習に向かった。
 

 
| - | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0)
はっぽんライブ  秋葉原事件に寄せて


 ベイパザル市からいただいた赤いシャツを着た。今までこんな赤い
シャツを着たことはなかった。自分には似合わないと思っていた。今
回のトルコの旅から帰り、着てみたいと自然に思った。
 トルコの国旗の赤は、戦争で無くなった人の血の色を現す。
   「赤い血で染まった大地に 白い月と星の光
    戦争の記憶 平和の祈り それがこの国の旗」
『イスタンブール』の出だしのフレーズ。
歌は心で歌う。いや、血で歌う。そんな想いでライブに臨んだ。

 秋葉原の無差別殺人事件を知ったのは、イスタンブールのホテルの
テレビだった。トルコ滞在中は、ほとんどテレビを付けなかったが、
たまたま付けてみたテレビで、又なにやら変な事件が起きている、日
本は本当におかしいんじゃないのかと思っていた。

 帰国して、仕事先の室内クリーニングの会社に行った時、社長から
「秋葉原の事件で車に轢かれた人の中に、うちの得意先のNさんがい
たんですよ」と悲痛な顔で話してくれた。「えー!あのNさんが」私
も絶句した。歯科医師だったNさんは、老齢になり仕事をやめ、よう
やく好きなカメラに没頭し始め、普段は新宿にカメラ関係の買い物に
行くのを、たまたまその日は秋葉原に行き事件に会ったのだった。
 「あの時お昼を食べていれば。たった1秒の差で車に轢かれたんで
す。まるで運命を察知するかのように、生活の整理をしてたようで
す」とNさんの奥さんから聞いたことを、社長が話してくれた。
 歯科医師を辞めることとなったゆきさつなどをの通知を、私は読ん
でいた。すこし難しい漢語が混じったすばらしい文章だった。「こん
な文章はなかなか書けませんね」と社長に語ったことを覚えている。
文章には人柄が滲み出ていた。
 事件後の週刊誌で、「神様みたいな人だった」という友人のコメン
トを見つけ、やはり。

 秋葉原の事件が他人ごとで無く感じられる。事件を起こした青年の
生い立ちや、社会背景が報じられている。格差社会など社会背景とし
ての現代の日本を考えてみたいと思っている。
 鬱屈した心理状態を私も経験している。20代の後半、「転落の詩」
という詩を書き、孤独、絶望、将来への不安を書きなぐったことこと
があった。

 ライブの2曲目に「DANCE OR DIE」を歌った。秋葉原事件を想いなが
ら。     
       DANCE OR DIE 軽やかに生きよう
       DANCE OR DIE 滅びの淵で

 2部の後半では、イスタンブールのナーズムヒ・クメット会館でのス
テージとほぼ同じ構成で歌った。『ナーズム・ヒクメットに捧ぐ』には
こんなフレーズがある。
   
   出がらしのコーヒーで行方を占いもした
   人間らしく生きるために 歌が必要なんだと
   
   あなたが歌ったのは 愛と希望の歌
   核兵器に怯える夜明けにも 人間に希望はあると

   あなたが歌ったのは 革命と平和の歌
   17年の監獄暮らしで 死に向かい歩いた海辺で

秋葉原の事件を想って歌った。必要なのは「愛と希望の歌」
だった。ちょっとしたふれあいと、少しの夢が。



 
| - | 04:40 | comments(0) | trackbacks(0)
トルコで歌う 2

(イスタンブール・アヤソフィアの公園 / ボスポラス海峡を見渡す公園
 アンカラへの寝台列車に乗る / アジア側の始発駅・ハイダルバシャ駅)

6月4日、12時50分発トルコ航空51便イスタンブール行きの飛行機で、
12時間のフライト。
 隣の席には、昨日、ブラジルで開催された世界卓球大会から帰国したば
かりの武術家の坂井さん。卓球大会の様子など話してくれた。
その大会に出場していた数人の皆さんとも知り合いなので、長らく卓球の
話である。坂井さんは、下位トーナメントの決勝まで進んだものの、当日
夜遅く行われた決勝の試合を翌日と間違え、ホテルに帰ってしまい、棄権
で準優勝だったという。「もったいないね」と苦笑していた。
 
 
 その隣には、他のツアーの若い女性。彼女は中国で書道を教えたこともあ
るとのことで、私たちの文化紹介の旅に興味を持ったようで会話が弾んだ。
 現在住んでいるところが横浜の金沢八景で、私のの通った大学のある所。
話はさらに弾み、「お名前だけでも」と聞くと「藤本です」という。「奇遇
ですね」と、お互い笑ってしまった。
 全く別コースの旅なのだが、彼女と一週間後にカッパドキアのデデマンホ
テルのエレベーター前でばったり遭遇。「ああ!」と、またお互い笑いあっ
た。

 機中の食事で赤ワインの小瓶を一本空けると、昨夜は一睡もしてなかったの
で、すぐに爆睡。目が覚めると、イスタンブールの上空であった。
時差が6時間なので、現地時間夜7時40分到着。
 空港に先発隊のかみさん、石本会長さんらが出向かいに来てくれていた。夜
8時半頃でもまだ明るく、夕方だ。イスタンブールの夜は長い。
旧市街、ライトアップされたブルーモスクの近くにあるホテルに向かう。夕食
にガラタ橋の下の魚料理のレストランへ。塩付けの鰯で巻いたオリーブでワイ
ンを飲む。チラチラ灯りで揺れるイスタンブールや対岸の町は異国情緒たっぷ
り。「旅人ならだれもが、憧れの都」である。

 翌日は、半日トプカプ宮殿を観光。課外活動のようなトルコの小学生団体が、
「こんにちは」と話しかけてくる。「笑顔のかわいい子どもたち」に、これが
トルコだなと嬉しくなる。午後からは、私は一行と離れ自由行動。まずはブルー
モスクとアヤソフィアの公園へ。「虹の噴水の公園」と自分で名付けた『イスタ
ンブール』で歌っている公園である。映画かテレビのの撮影が行われていて、噴
水は勢い無く、今回は噴水の虹は見られなかった。
 歌詞カードの準備が全く出来ていなかったので、ボスポラス海峡を見下ろす
静かなギュルハネ公園のボスポラス海峡を見下ろす場所へ行き、トルコ語の歌詞
カードを書いたりしていた。ウエイターがちらちら私のテーブルを覗き込むので、
『イスタンブール』と『ベイパザル賛歌』のトルコ語訳を渡し、英語でトルコ
に歌いに来たことを話した。驚いたように感心し、マネージャーを呼んで来て
私のことを説明していた。
 ボスポラス海峡の下に、地下鉄を通す工事が、大成建設の手で行われている。
日本人の技師たちの顔も見受け、異国で頑張っているんだなと感心した。

 夕方、一行とスルケジ駅のレストランで合流。スルケジ駅は、ヨーロッパへ
向かうオリエント急行の始発駅である。寝台車が、ヨーロッパに向け発車する。
なんともロマンを誘う場所である。
 夕食後、フェリーで海峡の対岸カドキョイへ。アジア側の始発駅、ドイツ人
によって作られたハイダルバシャ駅は、ライトアップされ荘重な感じを醸し出
していた。22時30分発、アンカラエクスプレスの一等個室寝台列車でアンカラ
へ向かった。


| - | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0)
トルコで歌う 1

<イスタンブール:タクシム広場で>

 6月4日からトルコに行き、今日帰国。昨年に続き、日本トルコ民間
交流協会主催の、日本文化紹介の旅に、茶道、書道、生け花、武術、
和太鼓の人たちとともに、私はギター一本携え、この旅に参加し、ベ
イバザルとイスタンブールで歌ってきた。

 ベイパザルは、トルコの首都アンカラから100キロ位の地方都市。か
つてシルクロードの宿場町として栄えたところで、毎年行われる祭りに
参加。小学校の特別公演、祭りの開会式、祭りの舞台で歌った。
 祭りの開会式では、ベイパザルのために書き下ろした『ベイパザル賛
歌』という歌を、トルコ語で歌い、市長さんにとても気に入ってもらっ
た。その夜の歓迎会で、『ベイパザル賛歌』を市民の人たちに聞いても
らいたいのでCDにしたいとの、ありがたい言葉をいただいた。
 また、開会式には、多くの報道陣が取材に来ており、翌日の新聞に、
その開会式の模様とともに、私のことも記事として掲載されていた。

 イスタンブールでは、私のミニコンサートという形で企画された日本文
化祭が、世界的に著名なトルコの詩人、ナーズム・ヒクメットの財団小ホー
ルで行われた。財団や日本の総領事館のおかげで、100席弱のホールは、
立ち見も出るほどだった。当日の権威ある新聞に、私の写真入りのコンサー
ト情報が掲載されたのも奏功したのだろう。
 何曲かトルコ語でも歌ったり、また、「ナーズム・ヒクメットに捧ぐ」
という書き下ろしの歌、「カタクリの花」のトルコバージョンを日本語に
堪能なトルコ人の司会者に通訳してもらい歌ったりした。
 ほとんど私のオリジナルで構成したステージで、私の挑戦であった。

 これから、今回のトルコの旅を、少しづつ紹介してゆこう。
帰国したばかりで、12時間のフライトと時差ぼけで、まだ少し体がだるい。
久々に、刺身で日本酒を飲み、旅の余韻にひたっている。
 今月は、19日にはっぽん、24日にコタンとライブが続き、その合間の20日
に,エフエムたちかわにゲスト出演する。トルコの旅の話をしようと思う。

 

 

| - | 20:44 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< June 2008 >>
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
『100万回生きたねこ』
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE