2008.04.29 Tuesday
高原の春は遅く
< 残雪の八ヶ岳 >
忙しく、時が過ぎた。「春はむなしく過ぎてゆく」そんな歌をつくった
20代は、時間をもてあましていたような気もするし、やはりバタバタして
いたような気もする。季節感を取り戻したり、早めたりするのに旅は有効
だ。今時分でも、東北へ行けば、まだ春はそこにあるし、南国へ行けば初
夏がそこにある。
今日は「昭和の日」という祝日であった。仕事のサイクルで平日も半分
位は自宅での仕事なので、日曜でも祝日でも、休日という感覚がほとんど
なくなっている。仕事が一段落したとき、「我に帰れる時」を意識するの
が私の休息時である。夕方ようやくずっと続いていた仕事が一段落、部屋
の窓ガラスを拭き、窓を開け、外の空気を入れ、戸外の季節感を取り戻し
た感じになっている。
4月もあと2日で終わる。桜の咲いていた頃、はっぽんでカントリーシン
ガー、ラトルス・ネイク・アニーさんのライブを見た。彼女は毎年、国立
の桜祭りに合わせ来日し、はっぽんと芸小ホールなどでライブをする。今
年で10数回目という。「KUNICHI」という歌をCDにも入れている。
ギターを弾く腕の青く浮き出た血管、60代後半の女性の人生が滲み出た顔
の皺、何より「歌が彼女を歌わせている」というような歌いぶりに感動した。
「私が歌を歌う」のではない。歌が私を歌うのだ。
世界各国の子どもたちの合唱を入れ、平和の歌を歌ったCDを数年がかり
で制作しているという話には、歌の可能性ということを考えさせられた。
英語やスペイン語で歌うので、歌詞の意味はほとんど理解できなかったが、
言葉をを超えた「歌」であった。
四谷コタンでのライブでは、「コタン短信」が今月号で廃刊になること
に感慨深い思いに浸る。よく私の詩を掲載してもらったが、書き下ろしの
詩を期限に間に合わせるために苦心したことを思い出す。そのおかげで、
今でも歌っている歌の詩が何作か生まれたのだった。最終号に「蒼い風」
が掲載されていた。
「街角の店に あの頃生きた二人」というフレーズに、確かにすごした
青春時代を振り返るし、もっともっと「蒼い風が今も吹く」でありたいと
思うのである。
コタン短信をできるだけ集めていた。手元にあるもので一番古いものが
昭和58年3月号。その号のライブ出演者で今でもコタンに出演しているのは、
私と、秦琴で有名になったな深草アキさんだけである。現店長の木村さんが
「コタンへ来て1年」という短いエッセイを書いている。
「みんなどうしているだろう あの頃出会った友たち」(蒼い風)
コタンライブの翌日は、都下ベテラン卓球大会だった。練習不足のわり
には、かえって集中力が増すようで、いい汗をかき楽しめるのだが、予選
リーグ戦を勝ち上がった決勝トーナメント1回戦で敗れてしまった。
このところ、いつも敗因はレシーブである。フォアー前の短いサーブの
処理の仕方。もっと練習したいなと試合後は、つくづく思う。
はっぽんでは卓球の歌を歌い、お客さんとも卓球の話をし、Sさん夫妻
とは話が盛り上がり、体育館で1回練習した。「はっぽんで卓球チームを
つくりましょう」とマスターの大ちゃんとも盛り上がった。無理してでも、
週1回は卓球をするという方針を守らなければ。なんたって、メタボのふら
ねこである。
四月のそんな合間に、山梨県・清里へぶらり。八ヶ岳、南アルプス、野
辺山を見渡せる美し森までひと歩き。遅い春を味わっていたのである。