<市民卓球大会 50代準優勝の賞状>
国立市民卓球大会・50代の部で準優勝の賞状をもらった。家に帰っ
て見てみると、端が雨に濡れヨレヨレになっていた。市民体育館での
反省会が終わり、打ち上げ会場の「新と美」へ自転車で行く途中、雷
が鳴り、土砂降りの雨に打たれてしまったのだ。
ヨレヨレの賞状を見て、今日の成績よりも、毛筆できれいに入賞者
の名前を書くMさんの姿と、大会の締めくくりとして表彰で読み上げ
てくれたT会長のやさしい声を、いとおしく思いだしている。
今回は、50代の部の準決勝が面白かった。宿命のライバルTさんと
の試合。健康上の理由で、ラケットをイボ(粒高)に変えて、攻撃を
ひかえているTさんには負けないだろうと思っていたが、今回は違っ
た。「死ぬ気でやります」と試合前に話していたように、イボでのカ
ウンターがバシバシ返ってくるのである。
セットカウント「1-2」、ポイント「8-10」と追い込まれ、絶対絶命
のピンチ。何とか粘ってジュースに持ち込み、「14-14」までせり、4セ
ットめを苦戦のうえ取り、5セット目を取り、勝つことが出来たのだっ
た。Tさんの復活が嬉しかった。
決勝戦は、やはり宿命のライバルOさんとの対決。このところ勝った
り負けたりを順序良く繰り返している。Oさんは、後輩たちの指導に力
を入れているようでオグラ道場の若手F君・I君の成長はめざましく、今
大会も活躍していた。
気合の入ったOさんと、最近少し卓球に気の抜けている私である。結
果は言わずもがな。私は、空振り、攻撃ミスの連続。あっさり負けた。
次回は私の番ですよ。また、ゆっくり呑みましょう。例のお店で。そん
な楽しみを持てることが嬉しかった。
国立に東京都多摩障害者スポーツセンターがあることで、卓球大会に
障害者も参加する。今回は車椅子の選手が5名ほど参加した。
車椅子の選手の試合には特別なサービスルールがある。サイドライン
を割らないこと。レシーバーのコートに2バウンドする短いサーブをし
ないこと。年代別で車椅子の選手と対決した時、その彼が語った。「健
常者の人と試合をすることが普段出来無いので、今日はとても嬉しいで
す」
一橋大学のOBや教員も、最近毎回参加していて、その人たちと挨拶
を交わす。「新しい人を連れてきました」とAさんが50代の選手を紹介
してくれた。皆さん腕もめきめき上げてきている。やはり卓球を楽しん
でいる人たちだ。
大会の時にだけ会う人が少しづつ増えてきて、にこやかに会話を交わ
す。これもまた、嬉しいことである。
東京女子体育大学の学生が、今回も「一般女子の部」に参加し花を添
えてくれた。立川羽衣町に住む私は、立川の地区対抗卓球大会で羽衣町
選手として出場しているが、同じ町内にある「女子寮」に住む卓球部の
選手も羽衣町チームに参加してくれるので顔見知りになっている。若い
ピチピチした彼女たちの試合を見たり、冗談を言いながら話す時は、す
っかり「オヤジねこ」になって嬉しいのである。
試合の途中で、今回不参加のW君が来た。去年の秋、彼の結婚式で
『市民卓球大会・上原ヴァージョン』をプレゼントしたが、先日、男の
子が生まれたという。そんな報告を聞けるのも嬉しかった。
「9-1から逆転されたよ」みんなに語っていた矢川クラブのGさんの信
じられないような顔。
「今回がデビュー戦です。全敗しましたが」多摩スポのNさんのいつ
も満面微笑の顔。
打ち上げで、市民大会の昭和39年当時のメダルや過去のプログラム見
せてくれた、国立に再び戻ってきたEさんの懐かしそうな顔。
いろいろな顔が、想いを浮かべ、体育館の中にあった。
小学生から70歳代までの男女150名ほどの参加があり、無事終了。今回
は、中学生・高校生の活躍が目立ち「若さ」を体育館の中に感じていた。
2.7グラムのオレンジ色のボールのように、それぞれが小さな思い出を作
ったことだろう。
市民卓球大会は、卓球を愛するわれらのお祭りである。「嬉しい」が、
花火のようにいっぱい打ちあがる。