藤本すすむブログ「100万回生きたねこ」

心に初めて触れた詩

<北スペイン・ロマネスクの教会>

 朝から激しい雨が降っている。午前10時、予定時刻ぴったりに
デザイン会社のTさんが自宅に訪れた。この土砂降りの雨の中を、
傘を差し、自転車で来てくれた。
 ホームページのリニューアルの打ち合わせである。7月にアッ
プした現在のホームページを再検討し、リニューアル版を制作し
てもらっている。基本的には、もう少し見やすいように配慮した
ものにする予定である。11月初旬にアップ出来る予定。

 ホームページは、今年の計画の一つだ。せっかく作るのだった
らいいものをと考えており、一冊の詩集、または本のようなもの
になるような構想を持って始めた。
 私の考えがころころ変わり、このホームページ制作で初めてお
会いすることとなったその会社の代表Oさんは、だいぶ私に面食
らっていた様子でもあった。とりあえず7月のアップを完了し、8
月終わりに、担当者Tさんも交え三人で酒場で呑みながら、私は
ホームページの遠大な構想「自分の成長の場の一つにしたい」こ
となど話した。やはり酒を呑んで忌憚なく話すのがいい。今後も
ホームページ制作をお願いできることになり、リニューアル版へ
と話が進んできたのだった。 ゆっくり時間を掛け、少ずつしホ
ームページを成長させたいと考えている。

 打ち合わせは40分ほどで終わり、Tさんが帰るとき、玄関の額
縁に入った写真を見つけ、「これはどこですか」と彼が聞いてき
た。「さすが、目ざといですね。これは一昨年行った、北スペイ
ンのロマネスク教会です。10世紀頃のものなんですよ」
 「ホームページの制作に携わり、少し藤本さんマニアです」と、
メールでそっと書き添えていてくれたTさん、その写真(自作曲
『わが青春のロマネスク』のイメージ風景の一つ)と共に、雨の
中帰って行く彼を見送った。「ぼくも外国を旅したいな」というT
さんに、その歌詩の一節を捧ぐ。
       「青空に無限の 夢を描け」

ホームページの自分の「プロフィール」を叙事詩のようにしたい
という考えがあり、今回も少し書き変える予定である。
 私が、初めて「詩」に触れた記憶を、降り続く雨を見ながら思い
だしていた。小学校5・6年生の担任だった小川先生が教えてくれた
詩が蘇ってきた。農家の次男として生まれた私に、その詩は、確か
にインパクトを持ち、心に初めて触れる「詩」であった。

 大関松三郎・詩集『山芋』から

      虫けら
ーくわ
どしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれて
あんきにくらしていた虫けらが
おれのーくわで たちまちおおさわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの大将でもないし、敵でもないが
おれは おまえたちを けちらしたり
ころしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える

だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
おまえらをけちらしていかんばならんでや
虫けらや 虫けらや

大関松三郎…昭和6年新潟県古志郡(現在長岡市)、
      小作農家7人兄弟の三男として生まれる。
      6年生のとき、たくさん書いていた生活詩を詩集としてまとめる。
      昭和19年マニラの海軍通信隊に赴任中、南シナ海で魚雷攻撃を受
          け戦死。
      昭和26年恩師寒川道夫により詩集『山芋』として出版される。


 

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はっぽんライブ・「ファド」のように切々と

<写真:はっぽんのボトル・ボトルキープの人の似顔絵を
         マスターの大ちゃんが描いてくれる>

 今夜は、はっぽんのライブだった。「誰が来て下さるだろうか。
誰も来ないのではないだろうか」と、ライブを何年続けていても、
お客さんの入りが気になり、開店して一番客が見えるまでは、不安
でしょうがない。以前は、その不安を打ち消すために、近くの喫茶
店で開演まじかまで、精神統一も含め、一人で過ごしていた。
 最近は、早めに見えたお客さんとお話しするのもいいなと、開店
時から店で待機している。「藤本さんに雰囲気がとても似ている方
を紹介したい」と、以前からの知り合いで時々ライブに来てくださ
るTさんがその人と早めに見えた。「自分に似ている人とは、あま
り会いたくないな」と冗談を言っていたので、その人は、開口一番
「すみません」という。「こちらこそ、すみません」と私も、その
人に似ていることを申し訳なく語った。そんな感性も、見た雰囲気
も確かに二人似ているようで、ますます「すみません」なのだった。

 そうこうしていると、卓球仲間のF君がスーツ・ネクタイ姿で、ひ
ょいと現れた。卓球仲間としては2年ほどの付き合いになり、勝ったり
負けたりの彼が、少しニヤニヤしながら「聴きにきましたよ」と、初
めてライブに来てくれた。彼は以前に、バンドをやっていたことがあ
りボーカルだったというから、「笑うなよ」と私は彼に挨拶した。少
し遅れF君の卓球の師匠でであり、卓球のわがライバルでもある、O
さんも忙しい中駆けつけてくれた。

 8時定刻、演奏に入った。今夜は、9月のポルトガルの旅で知った「フ
ァド」のように、切々と想いを込めて歌おうと特に意識して歌った。
 歌の間に挿入した、一部でのフルート演奏、二部でのバイイオリン演
奏は、普段彼らのライブにはなかなか行けないので、楽しみにしている
コーナーである。今回、フルートはシャンソンの「愛の賛歌」、バイイ
オリンはボサノバの曲でステージを味付けしてもらった。一部8曲、二部
7曲を歌った。

 「藤本さんの過去世は、やはり歌っていた人で、お坊さんのように
修行していた人ですね。きっと来世も歌ってますよ。」と、47歳とい
う「私に似ている人」が感想を語ってくれた。『ガンダーラ平野』と
『100万回生きたねこ』が良かったという。ライブは数年ぶりのTさん
からは、「新しい歌、いっぱいありますね。魂が篭り、味が出て、進
化してますね」
 ほとんど毎回駆けつけて下さる、やはり卓球のMさんが妹さんを
連れてきて下さった。その妹さんも私ののライブは今回初めてで『カ
タクリの花』と『イスタンブール』が良かったと。
 「ブログを楽しみに読んでます」と語ってくれた、このところ毎回
来て下さるHさんからは「『みんなの唄』を子どもたちに歌わせたい
わ」 Hさんは、こどもたちの支援事業を行うNPO法人の代表者で、
マンドリンを弾く女性である。その『みんなの唄』は、四谷コタンの
出演者・稲野真人さんの作品で、彼に了承を得、よくライブで歌わせ
てもらっている。
 ライブに来ていただいた人に、一曲でも気に入ってもらえたら、嬉
しいことである。十人十色で、それぞれ違うもおもしろい。

 みんながみんな同じわけじゃない みんながみんな同じはずじゃない
 同じでなくたって関係ない 同じになんて なること無い 
            作詞・作曲 稲野真人『みんなの唄』より

 今回発表した新曲『雪のブナ林で』は出来立てほやほやだが、自分
では気に入っていて、どんどん歌い込んでゆこうと思っている。
「歌を歩く」は、また一歩、歩けたような感じで終わった。ライブに
来て下さった皆さん、ほんとにありがとう。
 卓球仲間のF君が帰るとき、「笑わなかったかい」ニヤリと聞くと、
「途中泣けてしまいましたよ」彼は人差し指を目の下に這わせた。
さて、20代半ばの彼にとって、その歌はどの歌だったのだろう。今度
呑んだとき、聞いてみることにしよう。

  … 次回、国立はっぽんでのライブは、12月19日(水)…
 


| - | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0)
ぼくも絵を歩きます

<W君からの絵手紙>

 「 おかげさまで… 元気です。
   ますます歌を歩いて下さい。
   ぼくも絵を歩きます。  」
 
 8月11日のブログで紹介した横浜在住のW君から、絵手紙が届いた。
「虹を探す旅」を自己ののテーマとしている彼にも、お互い忙しく、
しばらく会っていないが、時々いただける音信は嬉しい。
「ライブにいけませんが、頑張ってください」という想いが伝わって
きて、普段会えない人も応援してくれてるなとありがたく思う。

 ライブ活動を始めた20代後半から、ライブのチラシを2ヶ月に1度く
らいのペースで知人に、郵送している。今は自分でパソコンで作って
いるが、絵の達者な友人がイラストを描いてくれてたこともある。歌
うこと・歌ってることの意思表示として、私には欠かせない儀式であ
る。
 ライブには来れそうも無い、北海道などの地方の知人や、夜の店の
仕事を持つ知人にも、「元気でやってますよ」との知らせのつもりで
郵送させてもらっている。年賀状の短期間版のようなものでもある。

「ライブのチラシをずっととってありますよ」酒を呑むと思い出した
かのように言ってくれる卓球仲間の「西のねこ君」のような人もおり、
写真も楽しめるようなライブチラシを作ろうと毎回考える。
以前は、短い詩も添え、チラシだけでも私のメッセージを届けようと
していた。

 「チラシを送らないで下さい」と、逆にお叱りを受けたこともあっ
た。何かの機会にお会いし、住所を伺い、一方的にライブチラシ送ら
せてもらっていた人からである。ライブチラシを、迷惑に、不愉快に
思う人もいることも確かだろう。
 ダイレクトメールには、そんなあつかましさを感じるところも無き
にしも非ずだが、そんなことを考えていては始まらない。こちらでも、
私個人や・私の歌に全く興味の無いような人には、送らないようにし
ているが、それぞれの人の顔を思い浮かべ毎回考えることである。今
回はパスしようかな、とか。

 「元気にしてますか?」
そして「想いよ、届け!」
そう願って、ライブのチラシを作り、毎回駅前のポストにしっかり投
函したり、手渡ししているのである。自分自身がまだまだで、「まこ
とに恐縮ですが」という気もちも添えて。

 

| - | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0)
新曲生まれる朝  / 訳詞 『 雪のブナ林で 』

<写真:ナーズム・ヒクメツト詩集>

 トルコの偉大な世界的詩人、ナーズム・ヒクメットについては、
何度かブログでも取り上げているが、その人の詩「雪のブナ林で」
を訳詞(邦訳イオン・オネルの補作)し、作曲した。
 トルコのズルフ・リバネリという人がその詩に曲を付け歌って
いる。CDからその曲をコピーしていたのだが、変拍子・トルコ
独特のメロディーで、コピーするのを断念。自分で曲を付けてみ
た。
 いい感じに仕上がり、焼酎を飲みながら余韻に浸り、朝を迎え
た。ヒクメットは、トルコで,共産党活動により17年間の投獄生活
を強いられ、モスクワへ亡命する。亡命後、祖国トルコに帰ること
は無かったという。この詩は、おそらく、その亡命のことを歌った
ように思われる。ヒクメット、1956年の作品である。


           雪のブナ林で
        原詩 ナーズム・ヒクメット
        訳詞・作曲 藤本すすむ

     雪の積もるブナ林を 歩いている 静かな夜
     もの想いに沈んで 心も凍えてる
     あなたのぬくもりは どこだろう

     月明かりに照らされて 昼のような 雪のブナ林
     心の中で 鳴り出す口笛は
     私をどこに 呼んでいる

     故郷だろうか あの星だろうか 私に一番遠いのは
     故郷だろうか 青春だろうか 私に一番遠いのは


     七つの丘のわが町に 恋人を残してきた
     林を曲がれば 荒野の向こうに
     キラキラ輝く モスクワが

     故郷だろうか あの星だろうか 私に一番遠いのは
     故郷だろうか 青春だろうか  私に一番遠いのは

     故郷だろうか あの星だろうか 私に一番遠いのは
     故郷だろうか 青春だろうか 私に一番遠いのは

※「七つの丘の町」はイスタンブールのこと
 
| - | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0)
ロシアのねこ遊びに来る

<ロシアのねこ・ソーニャ>

 「ズドゥードヴィーチェ(こんにちわ)。わたしはロシアのねこ、
ソーニャですニャーン。ふらねこ君、最近あまりブログ書いてないけ
ど、どうしたの?トルコのねこ君も、沖縄のねこちゃんもも楽しみ
にしてますよ。」

 「ありがとう。秋はいつも、ちょっとアンニュイ(倦怠)な季節な
んだよ。はじめた日記も、もっといいものを、前向きなものをと考え
ているうちに、すぐに日々がたって行くしね。」

 「もっと気楽にやってみたら?一日分を一回で完結しようとする
から相当な時間もとるし、考えているだけで過ぎてしまうんじゃな
いのかニャーン。日々の記録を書こうとしてるみたいではないから、
写真とタイトルをとりあえず載せて、少しずつ本文を付け足してゆ
くというやり方は、どう? どんな文が来るか楽しみにもなるニャ
ン。」

 「うん。試行錯誤でやっているけど、そのアイディアいただき!
さっそくやってみるね。」

 「ふらねこ君、何度も挫折を繰り返しているようだけど、またし
っかりやり直してるニャン。そう、『100万回生きたねこ』だもんね。
おみやげにロシアのCDをプレゼントするニャン。聞いてみて!」

 「へぇ、ロシア語の歌だね。あっ、これ知ってるよ。日本でもヒッ
トした歌『百万本のバラ』だ。ロシア語で聞くとすごく、時間的・空
間的な広がりを感じるね。『言葉の響き』ってそういうものかも知れ
ないね。最近、ポルトガルの歌、トルコの歌を原語で聞いているんだ。
どの国の言葉も、歌われるとき、その『言葉の響き』が最も美しいも
のになるのだと感じているんだ。日本語もきっとそうだね。
スパシーバ(ありがとう)。ソーニャ。」

 「ふらねこ君、じゃ、またね。ダスビダーニャ(さよなら)。」

 

 

 
| - | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0)
コタン短信

<コタン短信 19年10月号>
| - | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
20代のコタンライブ

<写真:20代後半、コタンで>
| - | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0)
四谷コタンライブ

<写真:コタンライブ、撮影Sさん>
| - | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0)
卓球Rock/都下選抜卓球大会

<都下選抜大会プログラム>
| - | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0)
米沢を訪ねる・「為せば成る」

〈写真:米沢・上杉鷹山の像>

 『為せば成る、為さねば成らぬ何事も
   成らぬは人の為さぬなりけり』
                 (上杉鷹山)
 
6日朝、山形新幹線「つばさ」に乗り、2時間15分ほどで米沢に着く。
コーヒーを飲もうと喫茶店を探して30分ほど歩いてるうちに上杉神社に
着いた。参道の手前にあるレストランで、ようやくコーヒーを飲み一服。
遠くに雄大な吾妻連邦が見える。米沢は、思っていたより広々したと開
放感のある街である。現在は山形市内に住む妹夫婦が、学生時代をすご
し、出会った街である。
 
 わがふるさと越後の名将・上杉謙信(1530年〜1578年)は、NHK
「風林火山」に登場し、広く知られている。その甥で養子の上杉景勝が、
徳川家康により、減移封され初代米沢藩主となる。
 上杉景勝の重臣が直江兼続であり、2009年のNHK大河ドラマ「天地
人」の主人公となる人物である。そのテレビ放映決定の広告が目に付いた。
 時は過ぎ、米沢藩9代藩主が上杉鷹山(1751年〜1882年)。17歳で藩主
となった鷹山は、財政の傾いた米沢藩を救うため「大倹約令」を発し、そ
の後、農政改革、藩校「興譲館」を再興するなど教育を進め、「織産業」
を発展させる。
 新渡戸稲造「武士道」の中で紹介され、アメリカ合衆国の元大統領ジョン
・F・ケネディも日本の政治家で最も尊敬する人物とあげているという。
江戸時代屈指の名君として知られている。

 その人の言葉、『為せば成る…』(元々は武田信玄の名言を変えて言った
もの)を受け止めてみようと、米沢へ来たのである。

 神社の境内には「伊達政宗生誕の地」の立て札があった。伊達政宗の歴史
も米沢から始まる。近くの公園には、今朝除幕式があったばかりの「米沢牛
を紹介した英国人、チャールズ・へンりー・ダラスの碑があり、明治初め横
浜での文明開化に貢献した話が記されていた。雑学的ではあるが、いろいろ
なところで歴史が繋がっていることを感じるのは面白い。
 博物館の中で、火縄銃体験コーナーがあり、持ってみた。ずっしりと重い。
私の力では全く安定しない。「こんなの持って戦っていたのか」思う。
火縄銃と同じくポルトガル伝来のキリスト教においても、こんなことを知った。
江戸幕府の禁教令で、キリシタンは東北や蝦夷に流れてゆく。ここ米沢でも、
50数人のキリシタンが処刑され、殉教の墓があるのだという。

 博物館隣の置賜ホールで、米沢第七中学校吹奏楽部の定期発表会が行われ
ていた。ふらり旅なので、ちょっと覗いてみた。これが、実に良かった。最
後までしっかり聴いてしまった。東北大会銀賞というみごとな演奏だった。
 まだ使い古されてないピカピカの楽器、純朴そうな幼さのある顔立ち、ひ
たむきに奏でる演奏は、プログラムが進むにつれ、どんどん胸に伝わってきた。
アンコールの2曲目は、全員が楽器を置いて賛美歌を合唱。「やられた」と思
った。
1時間30分のステージには「若さと希望」が溢れていた。自分の中学生時代を
思い出していた。私は、久しぶりに涙で潤んだ。






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